
フリーアナウンサー
古舘伊知郎 様
1977年に立教大学を卒業後、テレビ朝日へアナウンサーとして入社。
プロレス実況において「古舘節」と呼ばれる独自の語り口やキャッチコピーを用い、“言葉の格闘技”と評されるスタイルを確立した。
フリー転向後は、F1中継や世界水泳などのスポーツ実況での絶対的な地位を築き、NHK『紅白歌合戦』で3年連続で司会を務めた。
さらに、テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターを12年間務め、報道の最前線で時代の鼓動を伝え続けた。
1988年から始めた、マイク一本で2時間ノンストップで語る単独ライブ「トーキングブルース」は、卓越した話術の集大成であり、ライフワークとして現在も継続している。
現在は、母校である立教大学経済学部の客員教授も務めている。
出番を待っている間に、ずっと沈黙を守っているのが、ものすごく苦痛だったんですが、このマイク持った瞬間にほっとするというのは、やはり一つの職業病だと思います。
それにしても、入場させてもらう前にドアのところで聞き耳を立てていたんだけれど、後輩の宮根誠司があんなに殊勝で、誠実な毒気のないコメントをしたのは初めて聞いたのでびっくりしました。
素晴らしいね。
絶対100%演技ですよ。
少し恥ずかしいのは「最も今輝いている」と司会の方に言っていただいて、人間だから嬉しいんですけれども、正直なところ、私はそんなに輝いていないと思うんです。
中尊寺の金色堂じゃないですからね。
そんなに輝いてはいないんですけれども、賞をもらえたのはとても嬉しいです。
だってプラチナエイジ賞でしょう。
銅とか銀とか金を超えて、プラチナでしょう。
この後、もう少し長生きさせてもらったら、希少金属ということでレアアース特別賞をもらわなきゃいけないというそのレベルです。
それを超えたらどうするかというと、死んで土に還っていくんです。
さっき僕が髪のセットをしてもらいながら部屋で見ていて、一番インパクトがあったのは、やはりペコちゃんですね。
こういう賑々しい場で、ペコちゃんがボンとここにいた時には、少しびっくりするくらい、昔懐かしい思いがしました。
だから、やはり名前というのは大事だと僕は考えたんです。
例えば、言葉が現象を引っ張るんです。
だいぶ前に、日本において東京を中心に、コンビニエンスストアがお目見えした時には、そんなには林立しなかったんです。
ところが「コンビニエンスストア」というものを縮めて 「コンビニ」という4文字で据わりがいい状態にすると、バーッとノビルのごとく広がったんです。
あとは花粉症も確かに現実としてはきついんですけれども、「花粉」という言葉にどこか乾いた感じがありませんか?
これが現実を直視して「鼻ズルズル症」だったらこんなに流行っていないんです。
名前や言葉が現象を引っ張るので、僕はこれからは80歳を超えていきたいという欲望があるならば、名前を古舘伊知郎から「ポコちゃん」に変えます。
かわいくないですか?
今日のプラチナエイジにちなんで、僕がやっていることは何かというと、アンチエイジングなど、徹底的に健康原理主義みたいなことはやっていないんですけれども、いつもバランスを取ろうかとは思っています。
少し生意気を言わせていただくと、例えば、深酒をするんです。
よくないじゃないですか。
そうするとその後3日間抜くんです。
3日抜いた後の、4日目のお酒が美味しいんです。
深酒しちゃうんです。
心の二日酔いも起きるんです。
だけど、また3日抜くんです。
せいぜい週2回しか飲んでいないというのもあるんです。
せこいからいつもプラマイゼロで、上手く帳尻を合わせようかなと思っている毎日を続けていることは事実なんです。
あとはそういう意味で言うと、プラスとマイナス両方が支え合っていますから、嫌なことや、人生が思い通りにいかないことはたくさんありますよね。
思い通りの人生を全うする人なんて、世の中に一人もいないじゃないですか。
思い通りにならない、苦しい、悲しい。
マイナスの感情と言われる部分を共存して、孤独も含めて、大事に一緒に暮らしていこうと思っているんです。
感情を見つめることが大事です。
そのために僕の場合は、もしかしたら病だと思うんですけれど、心の中でいつも実況しています。
「さあ、だいぶ落ち込んで参りました」
「これはどういう状態か」
「世の中はネガティブになるな、前を向け、ポジティブになれという風に、いつも囁いて煽ってくるわけではありますが、この悲しみや辛さ、こういった苦しみと共存して、一緒に仲良く同居するということも大事なのではありましょうか」
「もう一人の自分を第三のカメラとして、俯瞰の画として撮ります」
「今落ち込んでいるぞ。落ち込んでいるということは、どん底になったら今度は這い上がって、前向きになるしかない」
「昔はそういうメソメソするのは放っておけばいいと、根暗であっても何でもいいから、放っておけばそのために僕の場合は、もしかしたら病だと思うんですけれど、心の中でいつも実況しています。
「さあ、だいぶ落ち込んで参りました」
「これはどういう状態か」
「世の中はネガティブになるな、前を向け、ポジティブになれという風に、いつも囁いて煽ってくるわけではありますが、この悲しみや辛さ、こういった苦しみと共存して、一緒に仲良く同居するということも大事なのではありましょうか」
「もう一人の自分を第三のカメラとして、俯瞰の画として撮ります」
「今落ち込んでいるぞ。落ち込んでいるということは、どん底になったら今度は這い上がって、前向きになるしかない」
「昔はそういうメソメソするのは放っておけばいいと、根暗であっても何でもいいから、放っておけば治るよと言われていました」
「そんな風に、これと仲良くしていこうと思った方が得策なんでありましょう」
「そうするとだいぶ曇り空から、一筋の光明が見えてまいりました」
みたいに心の中でやると、プラスとマイナスが一緒になります。
これは本当に大事なんです。
この前、宮根にその話をしたけれどガン無視されました。
「先輩話が長いんですよ」と。
確かに私は話が長いです。
これは完全な老害なんです。
だから私は、この後特別賞をいただいたからには、もう最終的にはプラチナ老害賞をもらって帰るしかないですね。
そのぐらいの気持ちでいっぱいでございます。
どうか皆さん実践してみてください。
マイナスはプラスです。
プラスはマイナスです。
人生を相対化できますからね。
僕は、細かいことから頑張ってやっているんです。
例えば、すごくおいしいものをいただくとします。
大好きなもので、おいしいもので、食べログでも★4.9が付いてると言われると、ミーハーだから大喜びでおいしいなと思うでしょう。
ですが、次の日もまた自分の好きなものや、おいしいものを食べていると、マンネリ化してちっともおいしくなくなるんです。
だから、僕はおいしいものをいただいて、よかったと気持ちいい思いをした次の日は、必ず自分の嫌いなものとまずいものを食べるようにしています。
その時は殺伐として、砂を噛むような思いなんですけれど、最終的にそれは2日ぐらい経って、また自分の好きなものにありついたときには、喜びはひとしおになりますから。
そういう風にやっていると、高じて病膏肓に入ると言います。
夜は、寝る前にNetflixを見るのがもう癖になっているんです。
例えば、だいぶ前に『国宝』を見て、めちゃくちゃいい映画だったなと思い返していました。
『国宝』を永遠の自分の「Favorite Movie」にするために、今度は逆につまらない映画を見ます。
また新たな感動の映画を誘うという心理的作用になりますので、Netflixで異常につまらないB級の極みみたいなものを見ます。
どんどん眠くなりますけれども、睡魔と戦いながら見切ります。
もう映画なんか二度と見たくないくらいの、とんでもなくつまらない映画があるんです。
抱き合わせで買った映画だったりと。
それが、次にマイケル・ジャクソンに出会った時に、二子玉川で見て感動したりします。
よく考えると、映画『Michael/マイケル』に感動していないんだけれど、感動した気分になれます。
世の中気分で生きていますから、マイナスを怖がらずに、最終的にプラスに転じたらいいかなということを、私の使命とさせていただきたいと思います。
こうやって長く喋っているのが老害なんですよ。
本来3分と言われたんですから。
これからも、おしゃべりクソ暴走メガネジジイとして頑張りたいと思います。
ありがとうございました。
