
俳優
伊原剛志 様
1963年福岡県生まれ、大阪府出身。
高校卒業後に上京し、「ジャパンアクションクラブ」(現JAE)に所属。
ʼ83年、舞台「真夜中のパーティー」で俳優デビュー。
ʼ96年NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」で全国的に注目され、映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍。
ʼ06年、クリント・イーストウッド監督作「硫⻩島からの手紙」に出演、ブラジル映画「汚れた心(’12年)、ハリウッド映画「ラスト・ナイツ」(’15年)など海外にも活躍の場を広げる。
今後の待機作に、主演映画「ら・かんぱねら」、全編フランス語でイザベル・ユペールと共演したフランス映画「日本のシドニー」(仮題)の公開が控える。9月16日より藤田俊太郎演出の舞台「リア王の悲劇」(KAAT神奈川芸術劇場)に出演予定。
本日は「プラチナワード」という賞に選んでいただき本当にありがとうございます。
よく僕がやっているYouTubeを見つけてくれたなと思います。
去年ですねたまたま映画の仕事の話がありまして
『ら・かんぱねら』という、佐賀の海苔漁師の方が53歳で全くピアノを触ったことがなくてピアノを練習して
7年かけて弾けるようになって、フジコ・ヘミングさんとお会いしてフジコ・ヘミングさんの前で弾いて
その2年後に福岡のリサイタルの前座に呼ばれて弾いた方をモデルとした映画だったんです。
僕も全くピアノを触ったこともなくて、やったこともなくて、この海苔漁師さんがやったんだから
「俺もできないことはない」と思って軽く「じゃあ僕もやります」と言ったんです。
先生が携帯でビデオで押さえてくれて9月26日から5ヶ月半毎日欠かさず4時間~5時間くらいやっていました。
毎回新しいところを習うので「うわー」と思って。
僕はそれまであんまり甘いものを食べない方だったんですけど終わったら
脳が疲れてチョコを食べるようになりました。
先生とかいろいろな方が甘いものを差し入れしてくれるようになりました。
それで僕のその時の目標というか楽しみというか。
全然やったことがないので自分が成長していくことの楽しさと、その先生が褒め上手でいつも
「うわぁ~伊原さんすごい」と言ってくれるんですね。それを聞くためにやっていました。
いっぺんに両手を覚えられないので片方片方で時には一小節だけ。右手・左手でやってそれを家に持ち帰って
先生がやっているのをビデオで撮って自分で両手にして仕上げて。
その先生の前で披露するとその先生は「伊原さんすごい」と言ってくれるのでそれを楽しみにできたんですね。
ただ141小節もありまして、もちろん楽譜も読めないので丸暗記するのに5か月半掛かって
その半月後に撮影が始まるので撮影に行ってそれでもちろん
「自分で全部やりたい」ということでゆっくりですけど全部自分で弾きました。
今思うと無知だったからできたんですよね。
少しでも僕がピアノをかじったことがあるときっと「いやもう絶対無理」と最初から言えていたと思います。
そういうふうに無知だからできたということを考えると、若いときは知らないことが多いのでそこに飛び込んでいける。
僕は去年60歳になりまして、ちょうどその60歳になった時に3人の子供の子育ても終わり
これから役者として分からないですけど15年か20年か何をしていこうと思って
とにかく自分のやりたいことをベクトルがとにかく全部自分に向いてきたんですよね。
やる気満々で「やろう」と思った時にこの話が来たのでこれをやり終えて
「やった」と思って終わった時は嬉しくて約1週間ピアノに触れなかったです。
そのピアノも佐賀市が持っているスタインウェイの長いピアノで
聞いたところによると4,000万円するものをお借りできたらしいんです。
一音弾いただけで自分が上手くなったと思ってしまいます。音が綺麗なので。それで
どんどんピアノに魅せられていって、今もラ・カンパネラは練習しています。もっと上手くなるように・・・
そのピアノをやっている時に初めて
僕はNHKの『映像の世紀』が大好きでそれの主題歌の『パリは燃えているか』というのを
「これ弾いてみたい」と初めて思ったんです。
先週からそれを練習し始めています。まだゆっくりですけど。
まだまだこれに懲りずにというか、僕はもともと挑戦することが好きで
普段は割と何もしないので何かにかこつけて、特に仕事にかこつけて
自分をいじめ鞭を打つのが割と好きなタイプで。
今後何をやりたいかというと、まだこれは今進めている段階なんですけど
『漫才師』としてデビューしようかと思っています。
僕と歳も近い「川平慈英」と。彼とは20歳ぐらいから友達で
それでコンビ名も『なにわシーサー’s』というコンビ名で。
僕が大阪で彼が沖縄で『なにわシーサー’s』というコンビで近々デビューして
ミュージカルをやろうと思ってもう本ができていまして1年かけてつくって僕と川平慈英と
脚本家を入れて演出家とかも決まったので、来週打ち合わせがあるんですけども
「それのためにやるか」みたいな。
お笑いの方がよく役者をやって、評価されて、良いお芝居をする方は多いですが
役者で漫才に挑戦する方はいないと。
「それやってみようよ」ということで始めたんです。
もしチャンスがあれば来年の8月には『M-1』に挑戦しようかなと。
コンビを組んで10年までなら出られるらしいので、もし出たら僕が今ここで言った
あの時伊原が言っていた『なにわシーサー’s』だと思い出していただけると幸いです。
どうもありがとうございました。
・所属事務所公式サイト「IHARA OFFICE Official Website」
・YouTube「伊原剛志のやりたい放題」
・Instagram「tsuyoshi_ihara」
・X「ihara184」

プラチナエイジ授賞式で宣言されていた漫才ライブ、見事に実現されましたね!
そうですね。実際に活動を始めたのは1ヶ月前からでしたが、無事に今日という日を迎えることができました。
初ライブを終えての感想は?
僕たちを「観たい」と思ってくださる方々が集まってくださったので、温かさを感じることができるライブになりました。
プラチナエイジ授賞式で“漫才に挑戦する”と宣言されていましたね。そこから半年で実現されたのは素晴らしいです!
はい、有言実行です(笑)。
漫才に挑戦しようと思った理由を教えていただけますか?
漫才を始めたきっかけは、川平慈英さんと『何か一緒にやろう』と話したことでした。笑いの世界の方が役者になることはありますが、役者がお笑いの世界に挑戦するのは少ないですよね。それなら自分たちがやってみようと思いました。
もともと挑戦することが好きですし、お笑いも大好きなので、自分にとっては自然な選択でした。
以前は落語もされていましたね。
そうですね。高座名『雀々や剛々(じゃくじゃくやごうごう)』で活動していました。でも、いまは2人でやる漫才の方が楽しいと感じています。
落語、ピアノで『ラ・カンパネラ』の演奏、そして漫才挑戦と、常に新しいことに挑まれていますね。
夢を持って前に進むことで、やるべきことが常に明確になります。僕には『何をしたらいいかわからない』ということがないんです。大きな壁に挑むことが、自分の人生を楽しくしてくれるんですよね。だから、その壁を越えるために挑戦し続けています。
漫才を始めたことで、生活の中で変わったことはありますか?
普段より関西弁が増えました(笑)。
最後に、夢を追いかけている方々へのメッセージをお願いします。
大きな夢でも小さな目標でも、まずは一歩踏み出すことが大切です。その一歩を一生懸命に進んでいると、周りが応援してくれるようになります。僕自身も、今回の挑戦でもそれを実感しました。
とにかく、まずはやってみること。それが新しい道を開いてくれるはずです。
<編集後記>
新たな挑戦として漫才に挑んだ伊原剛志さん。彼の真摯な姿勢とユーモアあふれるパフォーマンスに、多くのファンが笑い、楽しみ、魅了されていました。そんな私も、「伊原さんに負けてられない!」と、また一つ新たな夢を持ち進み始めました。
プラチナエイジ振興協会は、夢に向かって挑戦しつづける伊原剛志さんを応援してまいります。
(インタビュー/福本奈津子)
