「コロナ禍を乗り越え、大好きなフラメンコを生徒さんと元気に踊りたい」

スペイン舞踊家
石内善子さん(70歳)

群馬県桐生市に生まれた石内さんは、10代で観たフラメンコの映画に感銘を受け、19歳で上京、日本のフラメンコの第一人者である小松原庸子さんの教室に入門。西郷輝彦さんの「星のフラメンコ」でバックダンサーを務めるなどの活躍を経て、現在は立川市にスタジオを構え、八王子のカルチャーセンターでも講師を務めておられます。
およそ50年に及ぶ活動のなかでは、大病を患ったり、出産や子育てで一時的にフラメンコから離れることもありましたが、いまでは「生活の一部です」とにこやかに仰る石内さん。

また、新型コロナウイルス感染症の影響下においても文化の灯を絶やさないための対策として、東京都が実施している芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」の「舞踊部門」にて、ご自身が出演している動画「すっぴんでフラメンコを踊ってみる」も公開されており、コロナ禍に負けない活動にも取り組んでおられます。

今回は、第7回プラチナエイジ夢フェスティバル<プラチナ賞>受賞のインタビューを行い、お話を伺いました。

「アートにエールを!」の動画を拝見させていただきました。素晴らしい映像でしたね。
石内さん:ありがとうございます。アイライナーやつけまつげなどメイクをしっかりするのが普通なのですが、今回は衣装もなく、メイクもなしでやってみようということでやりました。ただ、普通の帽子は踊りには使えないので、黒い帽子とシューズだけはフラメンコで使うものを用意しました。

画面に登場するときの凛とした佇まい、まっすぐに伸びた背筋が素敵です。
石内さん:年の割にはがんばっております(笑)。お褒めのお言葉ありがとうございます。

フラメンコを始めるきっかけが、映画「バルセロナ物語」で感銘を受けたことと伺いましたが、具体的にはどのようなことだったのですか?
石内さん:この映画には、サラ・レサーナという若い女優さんが出演していて、彼女がとても素晴らしかったんです。フラメンコではリズムのことを「コンパス」と言うのですが、彼女の場合、それと身体(の動き)がまったく一致しておりまして。さらに情感ですね、これは「アイレ」と言いますが、とてもよく表現されていたんです。若いのにこんなにも表現できるなんてすごいなと思いました。もっとすごい人もたくさんいるとは思いますが、彼女の姿を見て「やってみたい」と思ったんです。

最初は、もともとやっていたモダンダンスと並行して、両方をやろうと思っていたんです。でも、やっているうちにフラメンコのほうに流れてしまいましたね。

その後は、日本のフラメンコの第一人者である小松原庸子先生に師事されたとのことですが、どのようなご縁だったのですか?
石内さん:それはもう普通に、小松原先生が教室をやってらしたので、そちらに入らせていただきました。とにかくフラメンコをやってみたいという気持ちが大きかったですね。

小松原先生のもとで本格的に学び始めて、どんどん吸収していったんですね。
石内さん:いえ、それがそうではなかったんです。もう、踊るというより、フラメンコはいままでやっていたリズムとはまったく違うものでしたから、最初は分かりませんでした。例えば三拍子と二拍子の組み合わせって、パッと分かりますか?

いえ、分かりません。教えていただけますか?
石内さん:フラメンコは、私たちが普段からよく知っているようなリズムでは区切れないんですよ。例えば三拍子系統の曲では12拍で1フレーズになっています。その中にアクセントがありまして、その位置は1から始まって3、6、8、10、12に来るんですね。ところがあるときに、1から始まっていたのが突然12から始まったりするんです。

言葉で聞いているだけではまったくイメージができませんね(笑)
石内さん:そうでしょう(笑)同じ間隔なんですが、アクセントの位置が曲によって微妙に変化していくので、それを覚えるのが必死でした。でも、いまの若い方々はリズム感がいいので、すぐに慣れると思いますよ。スッと馴染むと思います。私もあるときに掴めるようになってからは、ますます面白くなりましたね。

他に、モダンダンスとフラメンコの違いはどんなことがあったのですか?
石内さん:踊るということについては、どんなダンスも同じだと思います。ただ、ダンスの種類によって表現の方法が違うというだけで。私の場合はそれがフラメンコだったということですね。

それに、フラメンコにも種類があって、ジプシーのフラメンコと、普通のフラメンコと、バレエのテクニックを使ったフラメンコと、それぞれ違うんです。あとは地方によってはリズムも微妙に変わってきます。ジプシーのフラメンコは、とても真似できないですね。

真似できないというのは?
石内さん:とてもパワーがあって強烈なんです。皆さんがテレビなどでご覧になるような激しいものが、ジプシーのフラメンコですね。「ヒターノ」と言うんですが、私には激しすぎてできません(笑)

そうなんですね。ところで、フラメンコ歴はどれくらいになるのでしょうか。
石内さん:子育ての期間中、5年ほどお休みしていましたが、それ以外はずっとやっています。なので、50年近くにはなりますね。

教えるようになったのは、子育てに余裕ができたころにお友達に誘われて、カルチャーセンターでレッスンをするようになったのがきっかけです。そこからスタジオを持ったりして、現在に至っています。

教わる側から教える側になったわけですね。これはスムーズにできたのですか?
石内さん:いえ、教える側になってもいろいろな方から私も教わっていました。それをしなければ教えることも行き止まりになってしまいますからね。

もちろん、いろいろなことはありましたけれど、ありがたいことにたくさんの方が協力してくださったので、わりあいスムーズにやってこられたところはあります。ただ、いろいろなご事情で生徒さんがお辞めになるときは寂しいですね。

健康管理についてお伺いしたいのですが、気をつけていることはありますか?
石内さん:実は特にないんです。ただ、歩くときに姿勢や足の運びなど、きちんと歩くように気をつけていますね。買い物のときなど、重い荷物を持っているときはできませんが、それくらいです。あまりちゃんとちゃんとはやっていないんですよ。

ちょっとだけでいいと思うんです。きちんとやろうとすると疲れますし、かえって身体にもよくないですしね。ちょっと気をつけるだけで違うと思いますよ。

なるほど、では食事も同じように「ちょっと気をつける」なのでしょうか。
石内さん:はい、そうです。何事もきちんとやろうとするとストレスになりませんか? なので、健康管理については「何もしていません」というのが答えかもしれません。

いままでの人生を振り返って、石内さんにとってフラメンコとはどんなものですか?
石内さん:とにかく好きなものですね。もう生活の一部です。いまも週に2日はお休みをいただいていますが、それ以外はずっとやっています。

これからの夢はおそらくフラメンコに関することだと思うのですが、どのようなことをやっていきたいですか?
石内さん:いま切実に思うのは、コロナ禍が収まって、生徒の皆さんと元気に踊りたいということですね。そのために生徒の皆さんもがんばっていますし、私もがんばっています。「しごくわよ?」なんて言いながらね(笑)

長年付き合ってくれているスタッフさんも待っていますし、皆さんと一緒に踊りたいというのが切実な思いです。

それでは最後に、プラチナエイジの方々へのメッセージをお願いいたします。
石内さん:そうですねえ、がんばらないでぼちぼちいきましょう、ということでしょうか。少しだけでもいいから進んでいきましょう、ですね。だって、がんばっちゃうと進めなくなってしまいますから。もう、ちょっとだけでいいんです。ちょっとだけがんばっていきましょう。

素敵なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
石内さん:こちらこそ、ありがとうございました。

【編集後記】
「こんな素晴らしい賞、私でいいのでしょうか?」と、控えめな口調でお話しなさる石内さん。しかし、フラメンコのお話になると、その静かな口調の奥から、フラメンコに対する強い思いと、生徒さん、スタッフさんへのお気持ちがしっかりと伝わってきました。実際、ご自身が主催されるフラメンコの発表会では生徒さんの衣装を石内さん自ら縫われているそうで、共にがんばっている仲間への思いも揺るぎないものがおありです。
電話でのインタビューでしたが、電話の向こうで朗らかに笑う石内さんの表情までも浮かんでくるような、とても印象に残るお話でした。
プラチナエイジ振興協会は情熱的にフラメンコを踊りつづける石内さんを、これからも応援していきます。
(インタビュー・文/安 憲二郎

本記事に関する連絡先:プラチナエイジ振興協会事務局
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