
ミス・パリ・ビューティ専門学校大宮校 校長
島田薫 様
1966年、政治家石原慎太郎氏の秘書を務めたのち、1970年、TBSにて日本初のニュースキャスターとなる。
その後はアメリカのNYで日本クラブで日本文化を講義をし、広告代理店(イベント企画)や貿易会社を起業、アメリカの食品を輸入し、帝国ホテルで戦後初の口座を開設し販売した。
1995年、日本で初めて女子大で女性の起業家を育成し始めた(1995年)多くのマスコミに取り上げられる。
その他、女子大で30年にわたり女子教育をし、教え子は4万人以上、エッセイストとしても本を出版し、多くの講演を行う。
現在はミスパリビューティ専門学校の校長として、美容業界の発展に尽力している。
島田と申します。今日はありがとうございます。実は、第1回のプラチナエイジ賞に、ここにいらっしゃる桜井ゴルフの佐賀様が受賞なさった時に、意識しました。で、素晴らしいなと思ったのと、もう一つは、こういう企画をなさる中村様はすごいなと思っておりました。その賞に私が受賞できるというのは、夢のようなことで、とても感謝いたしております。
私は今73歳になりました。で、今大学で教えておりましたが、他にも今仕事をしておりますが、ちょうどコロナというのが、忘れられない区切りと転換期となりましたけれども、私たちは今ここで立ち止まって、まだこれから生きている人生に、いかに生きるかという時に、これから私はプラチナ社会を作らなくちゃいけないと思ってます。で、大学で、女性たちに教え続けたことは、心の意味の自立、自分の意見を持つ、自分の意見を持つ、ということは、裏づけに自分で自活する経済力を持つ、いつまでも働き続けて自分の意見を持つ、その重要性を伝え続けたつもりです。
日本も今ここで、来るな、ということで、他府県の人を入れるなとか、いろいろなこと言ってますが、大事なことは、この自立、それぞれが自立して、それから協調する。それから、最も大事なことは、寛容になるということだと思っています。で、感染免疫学者の泰斗という方がおっしゃっていたのは、実はウイルスとは、寛容になること、人が体の中に入ってきたウイルスに寛容になることで、それを乗り越えられるという言葉があって、ひどく感動したのを覚えています。
で、私たちは今試されているのは、この愛との対決ではなく、自分自身が大きく成長して、そしてこの社会を良くするために、それぞれがその置かれた立場で、私たちの命の意味を考えながら生きていくことだと思っています。で、このような素晴らしい賞をいただけたのは、推薦してくださった方々、それからお忙しい中お運びくださった方々に、心より御礼いたします。どうも今日はありがとうございました。
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