「最後をきれいに迎えるために、人生そのものを輝かせておきたい」

 

年輪クラブ:立木桂子さん

 

立木桂子様

千葉県船橋市で葬祭業を営みながら、プラチナエイジの交流の場「年輪クラブ」を運営している立木桂子さん(69歳)。

 

年輪クラブでは多くのプラチナエイジが集まり、サロンやカフェの運営、プラチナエイジ世代の縁結び、健康相談、高齢者の1人世帯の見守りやプラチナエイジの起業サポート、SNSの活用方法のレッスンなど多岐にわたる活動を行っています。
また、運営のサポートには30代や40代の方々もいて、世代をまたいだ交流が盛んです。

 

2015年、第1回プラチナエイジ授賞式で社会貢献部門でプラチナエイジストを受賞された立木さんに、生い立ちと今についてお話を伺ってきました。

 

――もともとはどんなお子さんだったんですか?

立木さん:私は奥手だったんです。
実家の義理の祖母と私の母が助産院をやっていたんですが、義理の祖母と直接の祖母の、両方のおばあちゃんがすごくかわいがってくれたんです。
2人とも明治生まれのおばあちゃんだから、縁側だとか布団の中とかで、いろんなことを話してくれました。
それがとても生きた知恵で、すごく肥やしになりました。 私は母や父より、両方のおばあちゃんに育てられたようなものです。

 

――おばあちゃんっ子だったんですね。

立木さん:はい、そうです。私は両方のおばあちゃんから見れば初めての孫だったので、それはそれは可愛がられたんですね。
そのおかげで奥手にもなってしまいました(笑)
自転車で誰かとすれ違うだけなのに顔を真っ赤にしてうつむいてしまったり、涙が出てしまったり。
大人になるにつれて話せるようにはなりましたが、そのころから元々誰かのお世話をすることは好きだったようです。

 

――自分でお仕事をされるようになったきっかけは?

立木さん:20代でサラリーマンである夫と結婚したんですが、そうすると「あれ」と気づくわけです。
助産院をやっていた祖母のお財布にはいつもお金があったけど、夫と暮らすようになってからはいつも決まったお給料しかなかった。
どうしたらいいんだろうと考えたときに、「そうだ自分で稼げばいいんだ」と気づいたのが30歳くらいのときです。
それで、子供もいるし、家で私ができることは何かと考えて始めたのが学習塾でした。

 

立木圭子様

 

――最初は学習塾からスタートされたんですね。

立木さん:そう。いまで言う補習塾ですね。文系の教諭免許を生かし地域の子供たちをみてあげるということで、理系は千葉工業大学の大学生に来てもらって始めました。
そこでお月謝をいただくようになって、初めて事業をやる、商売をするというのはこういうことかと実感でわかりました。
そうしているうちに10年ほど経ったら、駅ビルにチェーン店の学習塾ができて始めました。そのとき、これはもう次にいったほうがいいなと。

 

――ということは、チェーン店ができる10年前に学習塾を始めて、後から時代がついてきた形ですね。

立木さん:そうなんです。ちょうど自分の子供も大きくなったし、もう補習塾の時代でもないなと思って次を考えました。
そのとき、これからは介護だろうなと思ったんです。

 

――塾のあとにすぐ介護というのは、かなり先を読んだ考えだと思いますが。

立木さん:はい。もちろんその頃そんなことを考えている人は周りに誰もいませんでしたが、とにかくターゲットは高齢者になってくると思いました。
そこで、すぐに介護といかなくても、そういう世代の方々に必要なものはなんだろうと思ったときに、交流できるところがあったほうがいいだろうということで次に開いたのが「談笑室・桂(かつら)」という食事処でした。
60歳ちょっと前くらいの中高年の方々が集まってきて、地域に住んでいる方々の交流の場になりました。

 

――これも多くの方にご利用いただけたんですね。

立木さん:そうなんです。でも、それほど大きな場所でもなかったことと、地域の方々が集まってくるので、マイハウスのように使われる方が増えてきたんです。皆さん「ただいま」と帰ってくるような感じでした。
もちろん素敵なことなんですが、大きく利益を出すすほどの商売ではないなとわかってきました。
そうしているうちに食事処の賃貸契約期間5年が近づいてきて、するとこんどは居酒屋のチェーン店ができ始めました。
それで「ああ、これももう次だな」と思って。

 

――なるほど、交流の場が居酒屋に取って代わられるだろうということですね?

立木さん:はい、談笑室でしたが「交流の場を提供する」という着眼点ではまたしても先を行っていたんだなとこのとき思いました。
そして談笑室は終わりにして、さあ次に何をやろうかなと思っていたら、市川の葬儀社で女性パートを募集していたんです。
その葬儀社のチラシに「介護を扱う」とあったのがきっかけで、面接に応募し、葬祭業へ入ることになりました。

 

立木圭子様

 

――葬祭業に入られたのはおいくつくらいのことですか?

立木さん:53歳くらいですね。
だから最初、その葬儀社も私を採用することをためらっていたんです。

でも私としては、葬儀社なのに介護を扱うとチラシに出ていたので、これは先を行っているとピンと来ていましたから、興味があったんです。
そうして働くようになったんですが、実際は分厚い資料を渡されて、葬儀に関するたくさんの勉強をして暗記してくださいと言われました。

 

――直接的に介護のお仕事ではなかったんですね。

立木さん:はい、その会社では当時、介護のタクシーみたいなことを業務提携で少しやっていただけだったんです。
病院や施設とお家の送迎をするというような。なので、私はそこには携わらずに、葬儀の全般を担当するようになったんです。

まあ、PTAをやったりボランティアで人前で話すことには慣れていたし、運動部だったので鍛えられるのは平気だったので、負けん気もあってとにかく猛勉強してやりましたね。
それからしばらくして現場ホールに初めて行ったとき、担当していたのがすべて女性だったので、とても驚きました。

 

立木圭子様

 

――女性がすべてを仕切って葬儀を進めるのを初めて見たと。

立木さん:そうなんです。 目が点になって、目からウロコです。

これだけ全部のことを40代の女性が仕切れるんだと思って。
いままではやっぱり男性が中心で部分部分では女性がいましたが、女性だけのスタッフですべてをやっているところを見たのが初めてだったんです。
すべてのことが女性だけでできて、しかも、あんなにお客様に感謝されて、泣いて喜んでもらえて、きちんとお金もいただけて、こんな仕事はないと思いました。

いままでの自分の仕事は何だったんだろうと思って、私はこれだ、この仕事を最後までやろうと決めました。

 

――大きな転機だったんですね。

立木さん:はい。それからしばらくして夫の母が亡くなるんですが、そのとき「これからは桂子さん、お願いね」と言われて、実際に夫が退職したら私が大黒柱になりました。

53歳で自分の最後までの仕事が見つかって、その後、会社の中でも私がやりたい仕事ができるようになり、そこから独立する流れになりました。
いま思えばすべてが必然だったんですね。

 

――確かにひとつの流れに見えます。

立木さん:そう、もっと遡れば、私の祖母や母は「迎え人」だったんです。助産院でね。
そして私は「送り人」なんです。
それに、私の誕生日は昭和23年の3月11日でした。
それで、平成23年3月11日には東日本大震災が起こりました。
これも自分の生き方にたどり着いていくという点では、偶然ではないんだなと思っています。

50歳になってからこういう流れになって、ちょっと遅かったかもしれないけど、自分の気持ちに寄り添った生き方ができるようになってよかったなとは思います。

 

――では、年輪クラブはどのような経緯で立ち上げられたんですか?

立木さん:葬儀でたくさんの方々からお話を伺っていくうちに、一般的にはほとんど知られていないようなたくさんの現実を知るようになりました。

生前にあれをしておけばこんな大変なことにはならなかったというお話がとても多いんです。

でも、実際どなたも自分の最期がいつくるかなんて日常考えていないし、巷で言う終活というイメージではまったくないんです。
様々な準備や手続きについて、元気なうちに整えておかないと本当に後が大変なんです。

 

――そう言われれば、自分の葬儀のことはほとんど考えていないですね。
大事だとは思うけど、いま真剣に考えてはいないです。

立木さん:そうなんです。
でも皆さんに大切だからと言って私がお伝えしようとしても、自分が商売をしているので結局客寄せだろうと思われてしまう方もいらっしゃいます。

手続きにしても、生き方にしても、どうにか伝えていきたいなと考えていたんです。そこで様々な事業主さんと組んで協働会としてお世話する仕組みを作りたいと考えて一般社団法人という形を知り、勉強をして、年輪クラブを立ち上げました。

 

――なるほど、送り方・送られ方という観点もありますよね。

立木さん:はい、実はこちらも立ち上げが平成23年の東日本大震災の年になったので、巡り合わせを感じています。

最初のうちはプラチナエイジの皆様に集まっていただいていたのですが、やはり若い人たちも一緒になったほうがより新しいアイデアも出るし、活動も活発になるということで、2年くらい前からボランティア精神のある方に手伝ってもらおうと思いました。

私がやっていることやお伝えしていることの後継者育成にもなりますし。

 

――そうですね、Facebookでも30代40代の方も一緒にイベントに参加している様子が紹介されています。

立木さん:やっぱりね、若い人たちと一緒にやりはじめたらいろんなアイデアも出て、イベントに参加したいっていう方も増えてきたんです。

プラチナエイジだけだとお互いにいいね、素敵だね、と褒めあうことで具体的に運営出来ていないほうが多かったので本当に助かっています(笑)

これから年輪クラブでもテーマを持ったイベントをたくさんやっていって、人生を楽しんでいってもらいたいですね。

 

――年輪クラブではプラチナエイジの皆様はどういった楽しみ方をされているんですか?

立木さん:プラチナエイジの皆さんはね、実はスポットライトを浴びたいんです。観客じゃなくて、主催する側になりたいんですね。本当にそういう方は多くて、例えば終戦前後に生まれた方は、入学式、結婚式、あとはほとんど数えるくらいしか自分が主役の場面がなかったんです。だから、子育ても一段落して、仕事も落ち着いたら、自分がスポットライトを浴びる場所、見てもらえる場所がほしいんですね。

 

――なるほど、それで年輪クラブでいろいろな活動を始める方が多いんですね。

立木さん:はい。イベントは何でもいいんです。
歌うことだったり、フラダンスを踊ることだったり物作りだったり、そういうことをやることでみんなが本当におしゃれをしたりするんですね。

75歳でフラダンスを踊る方なんて、曲ごとに衣装を替えるくらいですし、とっても生き生きとしてかわいらしくなるんですよ。皆さん、本当にキラキラ輝くんですね。だから、そういう場も作ってあげたいと思うんです。

 

――(写真を見て)確かに最高の笑顔ですね。

立木さん:それと、年輪クラブでは「昔はどこどこの社長だった」という名刺はだめなんです。

皆さんにはいまの名刺を持ちましょうと言っています。
だから、肩書は自分で考えて作って、年輪クラブのタイムシェアでレンタルスペースがありますから、そこで小さなお勉強会とか始めてもらえればいいんです。

そういうこともしながら、自分が他の人から見られる場を作ってあげるのが大切ですよね。

中にはお化粧をして年輪クラブに出てくること自体が元気でいられる元だっておっしゃる方もいらっしゃるし、プラチナエイジの方々にはどんどん元気になっていただきたいと思います。

 

立木圭子様

 

――いままでの人生から大切に感じていることはありますか?

立木さん:私が自分の仕事と年輪クラブと両方をやっていて思うことは、生き甲斐が本当に大事だということ。

私の知り合いの中にも仕事で大きく成功された方が何人もいますが、その中の1人が「飽きちゃった」って言うんです。
あんなに活躍してきて、お金も使い切れないほどあって、美味しいものもたくさん食べて来たのに、言う言葉が「飽きちゃった」、そして「生き甲斐がない」なんです。

私たちはお金はないかもしれないけど、自信を持って生き甲斐がある!と言えます。
そう考えると、好きなことをこうしてやっていられることは幸せだと思います。

それと、私はどちらかと言うと、自分の夢がどうというより、私がいままで経験してきたこと、培ってきたことをこれからの人と分かち合って、その人たちが良くなっていってもらえたらいいなと思っているんです。

家族からは「もっと自分のことに時間を使ったら?」とか「のんびりしたら?」とか言われるんですけれども、しょうがないんですよね、それが性格だから(笑)

 

編集後記

取材は立木さんの事務所でお話をお伺いしてきましたが、のどかな住宅地のなかで、外を歩く子どもたちの笑い声も聞こえるような環境でした。

立木さんは、華美なおしゃれをする方ではありません。
自然体で、必要以上に自分を飾ることもなく、でも、相談に来た人にはすべてを開いて受け入れてもらえるような安心感、この人になら何でも任せられると思える信頼感があります。

手の届く範囲、目の届く範囲の人たち一人ひとりを、最後までお世話させていただく。
自分の思いに正直に、時代に合わせて自分を変えるのではなく、自分の内側から湧き上がってくる思いに忠実に生きてこられた。
その結果が、まわりの人たちに愛され、頼りにされる立木さんの人生を作ってきたんだと思いました。

等身大の生き方で、自分の人生だけでなく、まわりの方々の輝く生き方をもお世話するプラチナエイジスト、立木桂子さん。

千葉県船橋市で活動を続ける年輪クラブ、お近くにお住まいの方やご興味のある方はぜひ年輪クラブのFacebookページやホームページでお問い合わせください。

(インタビュー・撮影/2017年4月30日 安 憲二郎)

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