
シニアバレエダンサー
ミセスオブザイヤーエターナル部門滋賀大会グランプリ
田中久美 様
1956年生まれ。小学校教諭として、子どもたちを輝かせることに人生を捧げてきました。子育てを機に一度は仕事を離れましたが、息子の一言「お母さん、自分の人生考えや」に背中を押され、講師として現場へ復帰。
その後、教え子の劇的な変身がきっかけとなり、67歳でバレエの扉を開きます。かつての生徒から教わる立場になり、その子のお母さんでもある元教え子と舞台を共にする――二世代つながる、この上ない幸せの中で、新しい人生の新章を書いています。
「年齢なんて関係ない」を体現する古希バレエダンサー。0.1ミリずつの積み重ねが、自分と周囲の人生に新しい風景をもたらす――証明人です。
【ニ世代の教え子たちが開いてくれる「新しい風景」へ】

本日はよろしくお願いします。
1956年生まれの田中久美さん、今日はお時間いただきありがとうございます。
よろしくお願いします。腕くみ・水くみ・田中久美です!
(笑)ユーモアたっぷりですね。
息子には「たるみ・むくみ・田中久美」って言われてます。
韻がそろってますね(笑)。
ミセスオブザイヤー滋賀大会でのお写真、すごくスレンダーで驚きました。
バレエを習っているおかげでしょうね、きっと。
小学校教諭時代、そして42年前の「リズム体操クラブ」創設
久美さんは小学校で長く教えてこられたんですよね。
はい。体育の授業で運動会の団体演技の指導をしたり、ジャズ体操を教えたりしました。
27歳のときに学校に「リズム体操クラブ」を作ったんです。簡単なダンスの基本やバトントワリングを教えました。それがきっかけとなり大学でも練習をして、チアリーディング世界大会4位に入賞した教え子もいます。
40年ほど前にダンスを学校に導入するなんて、かなり先進的ですよね。
ちょうどジャズダンスが流行りだした頃でした。サタデーナイトフィーバーの時代で、洋楽を使って8ビートの振付を作って踊ったりしてました。
息子の一言と子育て中の75kgの過去。「自分の人生考えや」
一旦、退職されたのですね。
そうなんです。子育てのために一度仕事を辞めたんですけど、体重が75キロまで増えましてね(笑)。
そんな時に息子が「お母さん、自分の人生考えや」と。
ぐっとくる言葉ですね。
息子がひとりっ子だったから、私は全力で入れあげてたんです。私の気持ちが重かったのでしょうか。体重も重い(笑)。
でも、その一言で復帰を決意して、講師としてまた学校に戻りました。
教え子の“変化”が、バレエへ連れて行ってくれた
バレエとの出会いは?
講師時代に、学級にものすごくバレエの上手な子がいたんですよ。
ぽっちゃりしてたのに、どんどんバレリーナの体型に変わっていくんです。「この子のバレエ教室は本物や!私も同じ教室に行きたい!」と思って、習い始めたのです。
教え子さんと同じ教室に!?
そうなんです。今まで偉そうに子どもに教えていた私が、今度はその子どもに下手くそなバレエを見られている(笑)。
「えへっ!」って誤魔化しながらも、正直、恥ずかしかったです。
67歳、「バレエに挑戦する!」と決めた
そこから本気でバレエを学ばれるように?
はい。67歳で退職しました。今まで子どもを輝かせる仕事は本当に楽しかったです。「今度は大好きなバレエに挑戦していく!」と決めました。
教え子と同じ舞台に立つんですよ。その子のお母さんも、実は私の教え子(笑)。
ニ世代でつながってます。
私が舞台で迷っていたら、21歳の教え子が「先生、こっち!」って猫の子を引っ張っていくように立ち位置を教えてくれるのです。今度は教えてもらう立場。とても、幸せな気持ちです。
素敵な関係性です。
年齢なんて関係ないですね。
紙芝居みたいに情景が変わっていくんです。毎日が楽しいです。
ミセス・オブ・ザ・イヤー滋賀大会への挑戦

準備中の舞台へ
挑戦したきっかけは?
50代になった教え子が「先生、面白い世界に連れてったげるわ!」って言うんです。
躊躇している私に、「チャンスの神様は前髪しかないから、アッと思って振り返っても、後ろには髪の毛が無いから、もう掴めないよ!」と
それで出場することになり、バレエをしていたおかげで12センチのピンヒールを履いてまっすぐ歩き、笑顔でポージングできました。おかげでエターナル部門でグランプリをいただきました。
努力の積み重ねが生きているんですね。
バレエは、「0.1ミリでも上手になりたい」と思って続けてきただけなんです。
人と比べず、少しずつ積み上げる。
でも、ある日突然3センチ戻るときもありますけど(笑)。
80歳でも90歳でも、心で踊るバレエを
これからの夢を教えてください。
続けられる限りバレエを続けたいですね。
80歳でも90歳でも、もしかして杖ついてでもアラベスクしてるかもしれません(笑)。
歳をとってもできる“やさしいバレエ”を伝えたいです。
世代を超えて踊るバレエですね。
60歳でも90歳でも!
「私はプラチナ白鳥よ〜!」って言いながら踊りたいです(笑)。
同年代・プラチナエイジへのメッセージ
最後に、久美さんと同年代の方へメッセージをお願いします。
一歩踏み出すこと。
少し違う場所へ行ってみましょう。
山へ竹取りに
川へ洗濯に
光った竹が見つかるかも
大きな桃が流れてくるかも(笑)
滞留しないで、背景を変えてみては、どうでしょう。
コンサートでも映画でも、できることから。
日常のルーティーンをちょっと変えるだけで、0.1ミリ意識をずらすだけで、背景が変わりますよ!
インタビューアー所感
ニ世代の教え子とつながり続け、67歳から新しい世界へ飛び込んだ田中久美さん。
その軽やかさとユーモア、そして“0.1ミリずつ進む強さ”が、多くの人に新しい風景を見せています。

滋賀大会のティアラ
実は、インタビューの最後に「今日、実は滋賀大会でいただいたティアラを持ってきたんです。」と、ティアラを見せてくださいました。
ZOOM越しに見せていただいたティアラは自動的に「背景」に見なされるほど白く輝いていました。
「ガン闘病中の友人にこのティアラの写真を見せたら、『私の頭にもティアラをつけてな。その日が早くくるよう頑張る。』と言ってくれて、
挑戦して得たティアラは、人を元気づける力にもなり得るんやなあって感じました。」とおっしゃっていました。
自分が好きで始めたことが他の人へも影響し、勇気や希望を与えていらっしゃるんだなと感じました。
また、久美さんは、一度も「元」教え子という言い方をなさいませんでした。一番最初の教え子の方もプラチナエイジに近づいていますが、そういう方にとっても久美さんはずっと「先生」で、教え子の子どもさんも「教え子」です。そんな久美さんの愛情深さとお茶目さが人を惹きつけ、次々と新しい風景がやってくる、そんな未来が思い描けるようでした。
プラチナエイジ振興協会は、これからも古希バレエダンサー・田中久美さんを応援しています。
