
山一興産株式会社 代表取締役社長
柳内光子 様
1939年(昭和14年)東京生まれ。
1957年実兄と共に内山甚一商店を設立。生コンクリートメーカーとして生産の拡大を図り、業績の伸長に伴って社名を内山コンクリート工業、そして内山アドバンスに改称し、1985年同社代表取締役副社長に就任。その一方で、1969年には生コンクリート・建設資材の総合商社の山一興産の設立に参画し、1984年同社代表取締役社長に就任した。
1998年社会福祉法人豊生会(現江戸川豊生会)を設立し、福祉事業にも参入。
医療法人社団健勝会、学校法人草苑学園も運営。
2004年浦安商工会議所会頭に就任4期16年を務めた。
2007年藍綬褒章、2012年渋沢栄一賞、2014年春の叙勲で旭日小綬章を受賞した。
昨年2020年夫である内山アドバンス会長柳内正基の逝去に伴い、同社代表取締役社長に就任した。
ありがとうございました。
82歳昭和14年7月9日O型、かに座。そんな年に生まれまして、本当に日本一私くらい幸せな人はありません。
理由は1つ2つ、健康で未だに毎日仕事を精一杯することができて。そして85歳でこのような栄えある賞を推薦頂きまして、佐川さん本当に感謝です。本当にありがとうございました。
私は今、様々たどたどしく紹介いただきましたけれど、18歳から生コンクリート建材店から生コン事業に。今で言うベンチャービジネスですけれど、兄と一緒に立ち上げまして。
そして昭和58年、オリンピックを迎えた後、58年49歳で突然兄が亡くなりまして。そこから今の夫と結婚をして、こちらも去年の去年の5月に亡くなりまして。手元を分け合ってコンクリートのみ、今年でちょうど63年間、これ一筋で地域に貢献する。そして自然を破壊するセメント、砂、砂利、水、すべて事業をやって、今までこれ1本で大変幸せな、健康的な地域産業に貢献してまいりました。
そんな中、地域に貢献することに必要な公共事業という立場から、社会福祉法人の平成10年に茨城県の牛堀を発信して、生まれ故郷江戸川区に、そして千葉県に。そしてコンクリートの工場の届く所、そこに今、千人。そして医療法人、その他含めてかれこれ20数か所、コンクリートで稼いでそちらに投資し。
そして今新築して、習志野市に白書。このコロナウイルスに負けない体制で、社員と職員精一杯頑張っておりまして。
去年の9月また夫を亡くしまして、そして、そして内山アドバンス社長、山内興産社長とグループ数十社、環境は1600人。いつの間にかこんな大きな会社になってしまって。
(※注:聞き取りの文脈を考慮し、この部分も原文のまま改行で繋いでおります)
そして今日80歳になった時、今後コンクリート事業はどうなるのかというところから。そのうち半世紀50年お付き合いさせて頂いて、今数少ない経営者のお友達の一人でございます。
そんな中、今日こんなに素晴らしい賞をいただきまして、また私の目標を125歳まで、あと44年間長生きします。どこも悪いところなく、佐川さんとともに女性が女性の中で対話し合って、地域にそして社会に貢献しながら頑張っていきたいと思います。
どうか皆様、コンクリートをご用命の時は、山一興産に是非。ビルを建てる時はものすごくお安くします、どうぞご愛用をください。
本日は本当にありがとうございました。
またお会い出来たら嬉しいです。
