
株式会社クラブビジネスジャパン代表取締役社長
フィットネスビジネス 編集発行人
古屋武範 様
1962年山梨県生まれ。 早稲田大学ア式蹴球部に所属。 1985年早稲田大学卒業後、セノー株式会社(現ミズノ株式会社)入社。企画・広報・国際関連業務を担当。 1995年 編集長として『クラブマネジメント』を創刊。 2000年 社団法人日本フィットネス産業協会(現一般社団法人日本フィットネス産業協会/FIA)理事に就任。 一貫して調査研究委員を担当。 2002年 株式会社クラブビジネスジャパン創業。 代表取締役社長兼編集発行人として『Fitness Business』(IHRSA刊『クラブビジネスインターナショナル』提携)を創刊。経済産業省「グローバル サービス座談会」委員を歴任。 フィットネスベンチャー研究会(FVL)主宰(ルネサンス齊藤敏一氏と共同主宰)。 日本最大級のスポーツ・健康産業総合展示会「SPORTEC」共同主催。 IHRSAアンバサダー。テレビ・ラジオへの出演、新聞・雑誌への記事掲載、司会・講演・寄稿・執筆等多数。
まずはこのような素晴らしい場所でプラチナエイジストのご推薦をしていただきまして、表彰をいただきまして本当にありがとうございます。
協会関係の方々スタッフの方々ありがとうございます。
僕は普段はこちらにお座りの方のように報道関係者なので、スポットが当たる人をスポットが当たってない所から取材をする立場でして、今日みたいにスポットライトを思い切り浴びて高い席で話をするようことは本当に滅多になくてですね。
『人生のハイライト』かなと
あと60年くらい生きて120歳ぐらいで死ぬ時に、あの時60歳の時にプラチナエイジストとしてペニンシュラホテルで表彰していただいたなということを思い出して死んでいくんじゃないかなと思ってます。
でもまだ60年ありますからね、楽しく生きようと思いますけれども。
これまで僕がやってきましたのは、主にフィットネスクラブですけれどもフィットネスサービス事業者向けの経営情報誌をやってまして、これは39歳の時に自分の会社を作ったんですけれどもその時にそういうフィットネス×経営×編集みたいな領域で仕事をして独立するんだと。
まずは二人で始めるみたいなことを言った時に親しい友達からバカ言ってるんじゃないそんなので儲かるわけないすぐ潰れるからやめとけみたいな、そんな狭いところ狙ってどうするんだと言われたんですよね。
まあ今になって思うと先見の明だったなと。
今こうやって20年。39歳のころからやってきて大変多くの方々にご購読いただき、時にはお叱りの言葉もいただくことも あるんですけれども、「大変役に立ったよ」という言葉を言っていただけることが本当に何よりも遣り甲斐につながっているのかなと。
こういうふうになれた要因みたいなものを自分なりに振り返ってみると、三つくらいあるのかなと。
一つはやっぱりエンドユーザーとしての体験というのを大切にしてきたということですね。
お客様もフィットネスクラブの経営者なんですけれども、その先のお客様はやっぱりユーザーさんですから
会員さんですから会員さんの気持ちがわからないといけないということで、多分僕は世界中で一番フィットネスクラブを体験しているんじゃないかと思うんですね。
それで経営者の方々にその意義を届けられるように経営者以上に勉強することを続けるというのが二つ目。
三つ目として物書きですから発信する表現するということが大事で毎日何本かの記事を書くようにしています。
あまりそればかりやっていると売り上げがと社員から言われるですけれどもまあそれも記者ですからしょうがないですね。
ということなんですけどもう終わりですか。皆さんもうちょっと長く話したのでもう少し
日本も高岡さん言ってましたけども失われた30年ということですね。
いろんな課題噴出でもう少子高齢化が進むし、幸福度は落ちるし国際貢献力なくなるし、ずっと続いていると思うんですけれども、僕はそういうたくさんの課題を一挙にクリアするトリガーみたいなものがあるとしたらそれがフィットネスだと思っているんですよ。
フィットネスの事を考えた時には、日本の社会のこれからの成長を考えることとイコールだと思うんですね。
ですからぜひ皆さんもフィットネスしていつも生き生きして60歳からでも起業できますよね。
プラチナプレナーみたいな人が出てきたっていいじゃないですか。燃えましょうよということで。
ご挨拶とさせていただきたいと思います。
皆さんフィットネスを通じてヘルシーにセクシーに。ありがとうございました。
