
アーティスト
石井竜也 様
1959年生まれ。茨城県北茨城市出身。高校卒業後、画家を目指し上京。’85年にデビューしたバンド「米米CLUB」の中心的メンバーとして楽曲の作詞・作曲、ステージセット、コスチュームなどバンドを総合的にプロデュースし、’89年「KOME KOME WAR」、’90年「FUNK FUJIYAMA」でMTV VIDEO MUSIC AWARDを2年連続受賞。
さらに「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などを含め多くのヒット曲をリリースする。 その芸術的で圧倒的なライブ・パフォーマンスから稀代のエンターテインメント・バンドとしてその名を轟かせるかたわら、映画監督としても活動の場を広げ’94年『河童』、’96年『ACRI』を公開。 ’97年の米米CLUB解散後(’06年再始動)、ソロ・アーティストとして、各種プロデュース、オブジェ創作などを含め、音楽活動を軸に活動中。
’01年9・11のアメリカ同時多発テロをきっかけに、’02年から愛と平和を願うアート・インスタレーション「GROUND ANGEL」を主宰、故郷も被災した’11年の東日本大震災発生からは、被災者支援を軸とした活動を行っている。
’15年にはアーティスト活動30周年の節目を迎え、日本武道館でのスペシャル・コンサートを開催。
’16年、GROUND ANGELは15周年を迎え、’18年、新たな試みとして、演劇とコンサートの融合である和のエンターテインメントコンサートツアー「〜 陣 JIN 〜」に挑戦し、全34公演開催。
’19年、還暦を記念したメモリアルツアー「NYLON CLUB 〜006〜」を開催し、’20年はアーティスト活動35周年を迎える年として、精力的に活動を続けている。
ただバカなだけで、こんな賞がもらえるなんて嬉しいんですけど。アーティスト、60歳というのは、僕が20歳ぐらいの時、どういう世代かなと思うと、もう既に話にならないという世代でしたね。皆さん20歳の頃、よく思い出してみたらいいと思いますけど。
家は父と母が仲良かったものですから、母の老いを育ってきたもんですから、60歳にかかった時の母は、もう既に老人の域に達していて、父親は死ぬまで、お前はバカで良かったな、という風に言いながら死んでいきましたけども、母はまだ健在でございまして、85歳になりますけど、女性というのはすごいなと、母を見て思うんですけど、少女になるんですよね。
でも男は、恥ずかしさとか、この歳なんだから大人っぽくとかと言って、10年ごとのデケードで、男性というのは考えてしまうもので、女性は常に戻れるんですね、10代に。コンサートすると、楽しんでいる50代のファンを見た時に、喜んでいいやら、少し少し黙ってなさいと言っていいやら、だけどやはりそれで若返ると、一瞬でもこうやって若返っていただくというのは、僕らの仕事の大きな使命ですから。
僕らは病気をしない、変わらない、それと年を取らないという、アンドロイドみたいな生活をしなければいけない立場でありまして、僕は年相応の何か芸なり、歌う事なりをなされていくというのは、嘘だと思うんですよね。いつもテレビ出る時とか、ステージ上がる時にですね、足が震えるんですよ。震えるんですけど、出てしまえばこっちのものだと思うんで、自分の懐に入ったものを、笑わせて返すんですけど、最後は帰れとまで言って、お客さんに悪態ついてやってますけども。
僕がいつも思うんですけど、若さを保とうというのは間違ってますね。それよりも低い人間になろうと思ったほうが、話は早いかなと思いますけど。1つだけ自慢できるんですけども、僕はコンサート出る前に小心者なんで、いつも思うことがあるんですけど、この何1000人ものお客様の中で、一番最低の人間が俺だって思うようにしてるんですね。その最低な人間の俺が、ステージに立たせてもらっているのだから、ありがたくステージに立たなきゃなと、いつも今まで思ってやってこれました。
そんな思いみたいなのが、この賞をいただいた一助になってるのかなと思います。素晴らしいものをいただきまして、本当にありがとうございました。皆様お忙しい中、横の方がコロナじゃないと本当に願いまして、さっさとここから出たいなと思っております。どうもありがとうございました。
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