
ファッションディレクター
原 由美子様
慶應義塾大学文学部仏文科卒業。
1970年「an an」創刊に参加、仏・「ELLE」ページの翻訳スタッフを経て1972年よりスタイリストの仕事を開始、80年代のスタイリストブームを牽引する。
「クロワッサン」「婦人公論」「エルジャポン」「マリ・クレール日本版」「フィガロジャポン」「和樂」など数多くの雑誌のファッションページに携わり、女性ファッションのみならず男もの、きもののスタイリングも手がける。
雑誌や新聞などの執筆、ファッションディレクターとしても活動。
1973年より2011年までパリ・プレタポルテコレクションの取材を続けるほか、呉服店やきものの展覧会の監修、服飾専門校の講師、ファッション賞の選考委員など活動は多岐にわたる。
著書に「原由美子の仕事1970→」(ブックマン社)、「原由美子のきもの上手 染と織」(cccメディアハウス)等。
今日はこの賞を頂き、感謝しております。
伺ったときは少しびっくりしました。
ここに入ってきて、自分の目の前で、あのような事を聞くのは初めての経験で、あまり上がらない人なんですが、少しドキドキしてます。
私は1970年に創刊された、ananという雑誌に、私は仏文学科を卒業していたので、フランスのELLE提携をananはしていたので、そのエル係として、アルバイト的に、お仕事があるならと言って、結局そこでELLEのページだけでなく、ファッションページもやるようになって、それが1970年で、結局それを50年間くらい続けてしまったという。
やりながらファッションページだけでなく、出来る限り色々なことをということでは、審査員であったり、学校の先生であったり、色々とやりすぎて、ともかくファッションと言っても、着るものだけでなく、単に新しいものを着たり、こういう風に着ますという紹介であったり、皆がどう考えて着るとか、何を着るかで悩んでいらっしゃると、自分を含めて思っております。
それをお手伝いできるような、ファッションのプロになりたいと思ったので、バカ真面目だなと思ったりもしながら、仕事を始めた頃は、ファッションの洋裁学校を卒業した方も、ファッションの編集部にいらして、洋服の作り方も分からないような人が、なんで洋服の事が分かるのという風に、スタイリストという仕事はまだなく、そのような感じだったので。
自分で見て、何が美しいかと言えるようになるには、見るしかないと思って、頂く招待状全ては行けないですが、あとは私はメモしか書けないので、今皆さんはスマホで撮られますが、それでも私はメモをしている人なので、その方が私の中で、洋服がどのようなものか分かるので。
そんなことで、こんなに長くやってきたのが良かったのかとか、割とすごいポジティブに考えられない、ネガティブな人なので、今日前半ですごく、明るく前向きなお話をいただいたので、そうならなくてはと思い、ここにきて嬉しかったです。
ありがとうございます。
これからも私は、女物も男物も、着物の仕事もしてますので、人が着るということは、どんなことかと考えながら、自分なりにできることを、続けようと思っております。
本日はありがとうございました。
