【中田杏子さん】何歳からでも体は変えられる!母娘で伝えるメッセージ

背中が曲がった80歳からトレーニング開始、わずか4ヶ月で杖なしで歩けるように!

若い頃からアクティブで、体を動かすことやチャレンジが大好きだった中田杏子さん。60代半ばまでは東京都内に3店舗の飲食店を経営していましたが、それを辞めてからは徐々に体が衰えていき、70代になると背中も曲がり、杖を2本使わなければ歩けないほどに。しかし、80歳で転機が訪れます。リカバリートレーナーである娘さんと一緒にトレーニングを開始すると、わずか4ヶ月で杖無しで歩けるようになり、雑誌からの取材申し込みを受けるほどになりました。

今回は、娘の中田かんなさんとご一緒に、第8回プラチナエイジ夢フェスティバル<プラチナ賞>受賞のインタビューを行い、お話を伺いました。

杏子さんは子供の頃どんな子供だったんですか?
杏子さん:私は滋賀県生まれの京都育ちで、7人きょうだいの末っ子で、やんちゃなお嬢さんでした。家は自営業で、印章の商売をやっていました。解放的だったので、あれをやりたいこれをやりたいと言ったら、自分で責任取れるならどうぞという家でしたね。

とにかく体を動かすことが大好きでした。あと、7人きょうだいの上が姉で真ん中が兄でしたから、遊ぶのも兄の後ろについていってビー玉とかめんことかで遊んでいて、女の子の遊びに興味がなかったんです。

それで母が困って「もっと女の子らしいことをさせよう」ということで、近くのお寺で日本舞踊の教室をやっていたのでそこに入ったんですよね、着物を着せられて。でも私も、着物は着たもののそこにはいかず、結局着物の裾を捲くってめんこをやるという、そんな子供でした。とにかくおてんばでしたね。

それは確かにおてんばですね。そんな杏子さんをみてお母様はなんとおっしゃっていましたか?
杏子さん:日舞の先生が、ちょうど私の家の前を通って帰るんですよ。それで母が「今日はお世話になりました」っていうと、先生は「あら、今日は杏子ちゃん来てませんよ?」って言って。それで私が帰ったら着物の裾にも砂が付いているし、「杏子! あんたは!」って大きい声で言われてバレちゃいました(笑)。結局、行かないのにお月謝を払うのももったいないということで、そこは行かなくなりました。

まあ、それはそうですね。
杏子さん:社会人になってからは、京都国際ホテルの電話交換手をやっていました。芸能人の方がお泊りになられたときには、内線がかかってきてお繋ぎしたこともあります。もちろん「誰がどこに電話をかけた」なんてことは絶対に外には言えませんので自分の中だけにしまっておくんですが、まあ慌ただしい仕事でしたね。

それで、23、24歳頃に結婚を機に東京に出てきてからは、社交ダンスを始めました。子育てもしていたんですが、「やりたい!」と思ったら「いますぐ!」という突進力があるし、まあ、度胸がいいんですよね。自分でも「こんなに度胸があっていいのかな?」と思ったこともありますが、でもそれで失敗したことはございませんので(笑)。

実は社交ダンスは明日も行くんですよ。子育ても終わったし、30年ぶりに再開したんです。覚えるのには時間がかかりますけれども、楽しいですね。

なるほど、いまだにアクティブでいらっしゃるんですね。
杏子さん:はい。それで40代半ばからはお店を始めまして、スナックを3軒やっていたんです。

かんなさん:このときも、スナックの経験なんてまったくなかったのに、いきなり始めたんですよ?

未経験からいきなりスナック経営をされたんですか!?
杏子さん:その頃、主人が体調を悪くしまして、もし先立たれたときに何をして食べていこうかって真剣に考えたんです。それで知り合いのスナック経営をしているママさんに相談したら「ちょっとうちに見習いで来てみる?」と言っていただいて、そこから始まったんです。

そういう流れだったんですね。それにしても、まったくの未経験から3店舗も経営するなんて只者ではないですね。
杏子さん:そうですね。主人にも内緒でやっていましたし。

ええ!? ご主人に内緒でやられていたんですか?
杏子さん:そうなんですよ(笑)。でもバレちゃったときにはひどく怒られましたね。それはもう、ものすごく。「お前はいったい何をやってるんだ!」とか「なんだか帰りが遅いと思ったらお前はそんなことやっていたのか!」と言われてね。

かんなさん:実は母も、お店に出勤するときに「ダンスのレッスンに行ってくる」って言って出掛けてたんですよ。

ああ、そうだったんですね。それは確かにご主人もおかしいと思いますよね。
杏子さん:「なんだかタバコくさいとも思ったし」って疑われましてね。でも、お客様には本当に恵まれまして、警察署の偉い方とかも懇意にしてくださって、「このあたりで(私の)店を知らなかったらクビだぞ!」なんて言われるくらいに有名になって、本当にありがたかったですね。

いやあ、すごいですね。ちなみにお店は何年くらいやられていたんですか?
かんなさん:20年ですね。

20年もやられていたんですか!? まったくの未経験から、しかも最初ご主人からは大変な怒られ方をしたのに?
かんなさん:そこは父も、事情が分かってからは逆に協力的になってくれたんですよ。母もいまでも「(お店を)やりたい」って言っています。

杏子さん:そうなんです。私もお惣菜とか作るのが大好きですので。

いやあ、そうだったんですね。では40代半ばでお店をやられて、そこから20年というと60代半ばですが、そこからは何をされていたんですか?

杏子さん:そこからは専業主婦ですね。特に何かをすることもなく過ごしていました。それで70代に入ってからふつうに歩いているときに、娘から「お母さん、体が曲がってきたよ」って言われるようになったんです。実際に歩いていても、ふとしたときに電柱につかまらないといけなくなって、杖を使うようになっていきました。

かんなさん:腰と膝が痛いって言うようになったんです。

70代に入ってから、体も曲がってきたり、腰と膝が痛むようになったと。
かんなさん:痛みがひどくなると整形外科に通っていましたが、お医者さんに診てもらっても「脊柱菅狭窄症でしょう」って言われて、「加齢だから仕方がない」「膝が痛かったら膝周りの筋肉を鍛えましょう」くらいで終わってしまうんですよ。だから、根本的には治らないんですよね。だから、痛みがひどくなるとお医者さんに行ってというのを何回も繰り返していました。

かんなさんは杏子さんのその様子をずっと目の当たりにされていたわけですよね。

かんなさん:はい。歩くスピードが遅くなってきたり、10分歩くと休まないといけないという状態で。そしていまから2年くらい前にいよいよ杖が必要になってきて。母は杖については「年寄りくさくていやだ」とは言ってたんですが、痛いなら無理しないほうがいいということで、使うようになったんです。

その頃、私もリカバリートレーナー(※)になるためにジムに通っていて、先生に相談したところ「片方の杖だと左右差が出て良くないから、ノルディックで左右両方の杖を使ったほうがいい」とアドバイスをいただきまして、母も杖を2本使ってウォーキングをするようになったんです。
(※)痛みのない体づくり、その先の挑戦のため、その方に必要なリカバリー体操・リカバリートレーニングをお伝えし、回復へと導く専門的指導を行う。

確かに左右に杖を持っていたほうが安定しますね。
かんなさん:そうですね。それで、私も45歳になったときにOLを辞めてリカバリートレーナーに転職したんですが、そのとき母から「私もトレーニングをしてみたい」って言われたんです。母は当時80歳でした。

かんなさんが誘ったのではなく、杏子さんから「やってみたい!」とおっしゃられたんですね。
かんなさん:そうなんです。「どうして?」って聞いたら、「面白そうだし」って。好奇心でそう思ったみたいなんですよ。だったら私も転職したばかりで時間もあるし、たまたま私が使っているスタジオが母の家から歩いて数分のところだったので「じゃあスタジオでやってみようか」というのが始まりでした。

かんなさんのスタジオが杏子さんのお宅から徒歩数分というのも、また偶然というか、巡り合わせですね。
かんなさん:私としては外出するきっかけにしてもらって、気持ちをリフレッシュしてもらうきっかけになればと、気分転換してもらえればいいなと、それくらいの感覚だったんです。でも実際にトレーニングをして体を動かしたら、帰るときに母が「足が楽になった」って言うんですね。「来るときよりも膝が楽だよ」って言って嬉しそうに帰っていくんです。それで母は「もっとやりたい」「足が楽になるから週に2回くらいは来たい」って言い出して、そこから実際に週に2回、1回あたり1時間のリカバリートレーニングをやるようになりました。

杏子さん:そうなんです。本当に帰りには足が楽になって。

すごいですね。80歳で1回1時間のトレーニングを週に2回ですか。
かんなさん:それだけじゃなくて、「体を動かすと足が楽になるから」ということで、スタジオでやっていたリカバリー体操をこんどは毎日自宅でやるようになったんです。家でじっとしていて動かないでいるよりも、体を動かしたほうが楽になるということを体感したので、やるようになったんですよね。そしてウォーキングもやったほうがいいということで、30分程度のウォーキングも毎日やるようになって、3〜4ヶ月も経ったころには「もう杖なくても歩けるようになったよ」って言われました。

何年もかけて杖をつくようになったのに、3〜4ヶ月で回復してしまったんですか!?
かんなさん:はい。私も母もびっくりしました。

杏子さん:毎日ウォーキングをするんですが、当時はご近所の方も2本杖で歩く私を見ていたわけですよ。それが杖なしで歩くようになったら、その方に「杖をついてしんどそうに歩いていたのにどうしたんですか?」って言われて、私も「娘がやってくれるトレーニングのおかげで杖がいらなくなったんですよ」って言ったら、相当驚かれましたね。

かんなさん:結果的に母は体重も4kg落ちて、表情も明るくなったし、若々しくなりました。私も「もう60代にしか見えないね」って言っています。

いまも週に2回のスタジオでのトレーニングをやっているんですか?
かんなさん:いまは週に1回、私のパーソナルトレーニングと、毎日のリカバリー体操、ウォーキングですね。トレーニング前の足が辛かったときは転びやすくて、実際いちど転倒して2週間入院したこともありました。転ばないまでもつまづくことは多かったんですが、いまはそういったこともないですね。

それほどまでに元気に回復されて、杏子さんがいまいちばん嬉しいことは何ですか?
杏子さん:若さを保てていることが嬉しいですよ。毎日それは感じています。

かんなさん:そうなんですよ。もう毎日「幸せだ、幸せだ」」って言ってるんです。

杏子さん:毎晩寝るときにも、亡くなった主人に手を合わせて「今日も一日健康に過ごせました」って感謝してるんです。

今後の目標として大会に出場すると伺っているのですが、どんな大会を目指しているんですか?
かんなさん:私が出場していた「マッスルゲート」というボディメイクの大会があるんですが、昨年2022年に65歳以上の部門があったんです。それに出場できればいいなと思っています。ただ、今年も65歳以上の部門が開催されるかが分からないので、その場合は他の大会で出場できるものに参加して欲しいなと考えています。

杏子さん:そうですね。出てみたいと思います。

かんなさん:母のすごいところはメンタルが強いことだと、よく周りからも言われるんです。昔からバイタリティがあるのは知っていたんですが、リカバリートレーニングについても、いちばんの理由が好奇心からだったというのも、確かにそうだなと思います。私もトレーナーとして他にも生徒さんたちを見ていますが、やっぱり良くなっていく人は前向きだし、好奇心もあるような、そういう方なんですよね。

杏子さん:頼りになる娘のおかげで寿命も伸びていますよ(笑)。病院の先生からも「あと20年は長生きするよ」って言われています。

同じ60歳以上のプラチナエイジの方に向けてのメッセージをいただけますか?
杏子さん:60歳はまだまだ若いですよ。60歳の若さを維持していくには、過度にならない程度の運動をして、無理のないように頑張ること。歳を重ねることを悲観的に考えずに、前向きにね。あと、歳を重ねるんじゃなくて、減らしていくんです。

なるほど、歳は重ねるのではなく減らして数えていくんですね。だとすれば杏子さんはいま何歳なんですか?
杏子さん:即座に答えるのは難しいですね(笑)。でも、気持ちはいつも元気ですよ。「私、まだまだやるなあ!」って思っていますし。自分のことを世間一般でいう年齢だとは考えていないです。とにかく、何歳からでも体は変えられるし、明るく、笑いがあって健康で、好きなことは行動に移すということだと思います。

かんなさん:私自身もトレーニングを始めたのは40歳でしたし、母は80歳で始めてこれだけ回復して元気になっています。私も母も、トレーニングがきっかけで想像もしていなかったような人生に変わっていきましたので、今後も母と一緒に「何歳からでも体は変えられる」ということは発信していきたいですね。

そうですね。協会としても微力ながら応援させていただきますので、ぜひ親子で発信していっていただければと思います。今日はありがとうございました。
杏子さん:実は昨夜から緊張して眠れなかったんですけれども(笑)、楽しくお話させていただけました。こちらこそ本当にありがとうございました。

【編集後記】
インタビューはオンラインにて行われ、杏子さんと娘のかんなさんのお二人にお話を伺いましたが、仲の良い親子のご様子はたいへん清々しいものでした。
画面の向こうにおられる杏子さんは確かに緊張しているようにも見えましたが、それでもお話を伺うと、文中にあったとおりおてんばで、どこまでも明るいお人柄が伝わってきます。飲食店を経営されていた頃は本当にいいお客様に恵まれたとおっしゃっていましたが、確かにそれも納得です。
また、娘のかんなさんも、45歳でOLからリカバリートレーナーに転職するなど、やると決めたら思い切ったこともやられるようで、杏子さんに似ている部分も感じました。
かんなさんによると、本インタビューのあとも日経ウーマンから取材を受けることも決まっているとのことで、今後のフィットネス業界で中田親子の姿を見る機会はどんどん増えそうです。
「何歳からでも体は変えられる」というメッセージを、明るい笑顔とお人柄で伝えてくれる中田杏子さんを、プラチナエイジ振興協会は応援してまいります。

(インタビュー・文/安 憲二郎

本記事に関する連絡先:プラチナエイジ振興協会事務局
電話: 06-4400-1651

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