「自分らしいライフスタイルを発信して、大切な人に元気を届けたい」
佐波光男さん
80歳を過ぎて始められたインスタグラムで、そのお洒落なファッションが目を引くシューター光男さんこと、佐波光男さんは83歳(2021年1月現在)。名古屋に生まれ、名古屋で育った佐波さんは、オリンピック種目でもあるクレー射撃で1964年の東京オリンピックに出場したアスリートです。
選手として活躍したあとは後進の育成に力を注いだり、名古屋に多くの飲食店を展開するなど事業家としても手腕を発揮。現在はすべての要職を辞し、親しい友人と自分らしいライフスタイルを送っておられます。
今回は、ご友人宅でzoomでのインタビューにお答えいただきました。
本日はインタビューにお答えいただきありがとうございます。さっそくですが、インスタグラムのお写真は奥様が撮影されているとのことですが、コーディネートも奥様なんですか?
佐波さん:いえ、全部自分でやっています。いまは僕が新しい服を買ったら、妻から「1枚買ったら2枚捨てなさい」と言われますけどね。ただ、こだわりは特にないんですが、年齢が年齢なので、清潔にしなきゃいけないなということだけは心がけています。名古屋には僕を知っている人が多いし、毎日イオンとかナゴヤドームとか歩いているから、そこは気をつけています。
なるほど。確かに清潔感は大事ですよね。インスタグラムを開設して何か良かったことや楽しいことはありますか?
佐波さん:娘がハワイにいるので、毎日写真を見て「元気なんだな」と思ってもらえていますね。あとはクレーの関係者や教えた人たちが見てくれているので、僕が元気なんだということは分かってもらえていると思います。まあ、娘や孫にしてみれば安否確認みたいなものかもしれませんが。
どのお写真を見ても本当にお洒落ですし、安否確認にしてはだいぶ素敵ですね。
佐波さん:ありがとうございます。昔、店回りをしていたものですからたくさんあるんですよ。今日着ているこのジャケットも30年前のものなんですが、たまたま出てきたので着てきました。
インスタグラムを見るとスポーツカーの写真もあって、多彩な趣味をお持ちに見えます。
佐波さん:若い頃はランボルギーニ・ミウラとか、日本に1台しかないポルシェ934にも乗っていました。あと、三重県の鈴鹿サーキットでスーパーカーレースをやったことがあるんですが、それにどうしても出場したくて、国際A級ドライバーのライセンスも取ったんです。それに、いま名古屋モーターショーというのが開催されているけれども、最初にそれをスーパーカーショーとしてやり始めたのは僕でね。それくらい、車は鉄砲と同じように大好きです。
クレー射撃についてなんですが、そもそもどういう経緯で始められたんですか?
佐波さん:僕は15歳のときに弓道をやっていて、初段を取っていたんです。そして2段も取ろうと思ったんだけど、15歳では年齢を満たしていなくて取れなくてね。そこで空気銃に凝るようになって、それから散弾銃で猟をやるようになったんです。当時は鉄砲を持つにも許可が要らなかったんですが、クレー射撃は18歳ぐらいから始めました。
元々は弓道が最初だったんですね。
佐波さん:それに、昔、名古屋の東山というところに射撃場があって、家からも近かったんですね。だから、デパートで売っていた銃を買って肩に担いで、バイクに乗ってよく行っていました。
デパートで銃が売っていたんですか?
佐波さん:そうなんですよ。でも、お金はかかりましたよ。その頃は高卒の初任給が13,800円という歌があったんだけど、散弾銃の弾は1発40円で、100発とか150発っていう単位で使いましたから。だから、鉄砲に凝り始めるとのめり込む人は多いんだけど、そもそも試合として鉄砲をやるようになる人は少なかったな。
記録によると1964年の東京オリンピックには27歳で出場なさっていますが、やはり特別な経験でしたか?
佐波さん:特別というか、試合もそうだけど予選通過が大変でしたよ。どんな競技でもそうだと思いますが、国際大会に出場していい成績を出さないとオリンピック代表にはなれませんし、そのためにもアジア大会とか世界選手権には何回も出ていました。
25歳のときにはエジプトの世界クレー選手権大会に出場されていましたね。
佐波さん:外国に行くと王室とかそういう関係の人が競技者には多いんですよ。そのときも当時はクウェートの王子様だった人が出ていました。アラブ系は王様系統が多くて、中国だと軍隊の関係者ですね。そういう人と試合をしていました。アジアのクレー協会の会長をしていたときは中東の王様系統の人たちとよく会いましたよ。
なるほど、外国では階級だと上の人たちが多い競技なんですね。
佐波さん:だいたい、射撃とヨットと乗馬は王様系統の人たちがよくやっていました。そのクウェートの王子様はあとで王様になったんだけど、2020年に東京オリンピックをやるやらないの話をしていたときに連絡が来まして、「光男は観に行かないのか?」と聞かれました。「僕は行かないよ」って答えたんですけど。
王様からそんな連絡が来るんですか?
佐波さん:まあ、そうですね。でも、いまはもう彼らも出てこないですよ。東京まで出てくるのも大変でしょうし。
東京オリンピック以降も競技は続けられたんですか?
佐波さん:10年くらいやっていました。いまでも愛知県の公式大会や、岐阜県の射撃場でやっている射撃クラブの大会とかには出ていますよ。それにプロ協会も作りましたから、若い連中を教えることはいまでもやっています。日本のクレー射撃の中では階級があるんですが、名人を取っているのは僕だけなんですよ。ただ、射撃のことはだいたい全部やりましたけれども、それ以外のことは分かりません。
事業もやられていたと伺っているんですが、どんなお仕事をされていたんですか?
佐波さん:IMANAS亭っていう焼肉店をいくつかと、飲食店やバー、ライブハウス(※1)とかを合わせて30店舗くらいやっていました。IMANASっていうのはSANAMIを後ろから読んだ名前でね。これはハワイにもありましたよ。飲食店では1000人くらい入るお店(※2)もやっていたんですが、いまはもう全部譲っています。最初はホワイトベアーという喫茶店から始めて、コーヒー1杯100円の時代に、1杯300円でやったんです。ホテルの喫茶店のようなお店を街の中に作ろうということでやったんですが、それがきっかけですね。
(※1)CLUB DIAMOND HALL・APOLLO THEATER
(※2)蝦蟹市場 KUN PO: FLEX店
30店舗も拡がるなんてすごいですね。
佐波さん:順番に店が増えていっちゃったんですよ。それにお金も使うほうが多かったから、周りからは「歩く金食い虫」なんて言われたこともありました。そうやって店回りをしていたので、服もたくさん増えたんです。
お洒落なファッションはそこから来ているんですね。インスタグラムでは猟の写真もありますが、鹿猟はどれくらいやられているんですか?
佐波さん:北海道に行き始めたのが25歳くらいからだから、60年近くになりますね。クレー射撃と同じくらいずっとやっています。猟で獲った鹿の角を使って、自作のステッキも何本も作りました。
凝り始めると、とことんやられるんですね。
佐波さん:そうですね。北海道で鹿猟をするときはずっと僕が運転しています。それこそ日の出前から日の入りまで丸一日車を走らせるので、300kmくらい運転します。注意をして運転するから疲れるのはありますけれども。
1日300kmは若い世代でも大変な距離です。運転したあとは、さらに森の中にも入っていくんですよね?
佐波さん:昔はそうでしたが、いまは鹿を見つけるまでですね。実際に撃って仕留めるのは若い人にやってもらっています。体が動かないぶん、頭を使うんですよ。鹿を撃つにも300mくらい離れていますから、仕留めたあとは車に取り付けた特製のウインチで引っ張ってきます。今シーズンは2回ほど猟に出ていますが、猟果は40頭くらいですね。
お話を伺っていると、やりたいことを我慢しないように感じます。
佐波さん:いやいや、ずっと我慢していますよ。生きていること自体我慢です。体が自分の言うことを聞いてくれないから、癇癪を起こしてます(笑) 僕だけじゃないんだけど、鉄砲を撃つ人は待てないんですよ。我慢するのが嫌いで、お昼ごはんも誰かと待ち合わせするときは11時ですね。前は11時半だったんですが、待っていられなくてね。喫茶店でも30分と座っていられないんです。じっとしていられない。
トレーニングなどはされているんですか?
佐波さん:いまはもう、毎日歩くだけですね。それが仕事ですよ。朝起きたら6時から散歩をして、8時になったらナゴヤドームへ出掛けて散歩して、昼ごはんを食べて11時半くらいに帰宅します。
規則正しい生活ですね。では、話題を変えてお伺いしたいのですが、いまの日本のプラチナエイジに向けて何か思うことはありますか?
佐波さん:僕の考えですけれども、人間というのは、人の上に立つような仕事は65歳を過ぎたらもう無理ですよ。代議士とかは口だけでやってればいいかもしれないけど、責任を持った行動を取ろうと思うなら、あまり歳を取りすぎると無理ですね。考えることと自分のやることが違ってきたりしたら、そういう部分が少しでも出てきたら引くべきだと思います。
それはご自身でそう感じたということですか?
佐波さん:そうですね。なんとなくそう感じて、65歳のときに社長やいろんな役職を辞めて、店を閉めたのは70歳くらいでした。
なるほど、そしていまはご友人たちとの時間も楽しんでおられるわけですね。では最後に、プラチナエイジの方々にメッセージをお願いできますでしょうか?
佐波さん:いちばん大事なのは健康だから、体が丈夫というのがいちばんいいんじゃないかな。そのために何かやろうということで、食べることも運動することも、どんなことも一生懸命やっていたら、他に余計なことはやらなくてもよくなりますよ。遊ぶという言葉はすごく難しいけど、いつまでも仕事はやらないで、一緒に遊びましょう!
【編集後記】
インタビューはご友人夫婦のお宅で、zoomを使ったオンラインで行われましたが、画面の向こうにいる佐波さんは終始穏やかな微笑みを絶やしません。ご友人とも和気あいあいとお話をされ、和やかな雰囲気がこちらにも伝わってきました。
しかし、言葉の端々には、日本を代表するスポーツ選手であり、名古屋でも広く知られる事業家であった片鱗が現れていて、ふとした一言に深みが感じられました。毎日を規則正しく暮らし、周囲の人たちへの感謝と心配りを忘れない佐波さん。素敵なプラチナエイジストとして、これからも多くの方の夢や希望になっていくことでしょう。
(インタビュー・文/安 憲二郎)
本記事に関する連絡先:プラチナエイジ振興協会事務局
電話: 06-7657-2739
E-mail:info@platinumage.org