「気持ちを変えたら表情も変わって、自分を活かした生き方に変わった。」

社交ダンス全米大会3位入賞:細川てい子さん


2015年度、第1回プラチナエイジ受賞式で女性活躍部門のプラチナエイジストとして表彰された大阪在住の主婦、細川てい子さん。
  
家事と子育てがすべてだった専業主婦でありながら、自分の好きなことを好きなように追求していった結果、50歳で単身渡米してニューヨークの社交ダンス大会で優勝し、その後オハイオ州で開催された全米大会にも出場、3位の成績を残してきました。現在はダンス大会の主催者として休みなく活動している細川さんに、そのお話をお伺いしてきました。
        
とはいうものの、最初は細川さんとまったく連絡が取れず、日程調整は難航。なんと細川さん、それほどご多忙にも関わらず携帯電話はお持ちでなく、連絡先は自宅電話のみ。その自宅電話も朝から夜まで不在で繋がらず、ご家族でさえも滅多に連絡がつかないという状況。
        
奇跡的に居合わせたタイミングで長女の知恵さんが連絡を取り付けてくださり、やっとお目にかかることができました。

インタビュー当日は、知恵さんにもご一緒いただき、お話は携帯電話の話題から始まりました。



ーーやっとお会いできて嬉しいです。改めてなんですが、本当に携帯電話は持っていないんですか? 持っているけど忘れちゃうとか、持っているけどほとんど使わないとかではなくて。

細川さん:私、携帯は持ちたくないというより、持たないんです。自由に解放されていたいというか、出先で何か連絡が入ったらそっちに気がいってしまって、自分のことが二の次になってしまうんです。知らなかったら最後まできちんと自分の用事を楽しめるから。


ーーなるほど、確かにその通りですね。

細川さん:持ってたことはあったんですけど、電話番号を交換しようとか言われたときにいろいろ気を遣ってしまって煩わしく感じたことがあったんです。私あまり不特定多数の人と交遊を広げるのを好まないというか、関係ない人とつながりを持っても意味がないと思うんですよね。


ーーそれはおっしゃる通りですが、「まだガラケーなの?」じゃなくて、そもそも携帯電話を持っていないと、周りからはなんて言われるんですか?

細川さん:「化石みたいな奴やな」って言われます(笑)


ーーさすが関西ですね(笑) なんて答えるんですか?

細川さん:「そうやねん」って(笑)「お前そんなんじゃ友達できへんぞ!」言われても、「ええねん、ええねん」って言って笑ってます。で、どうしても連絡とりたいとか、きちんとお友達になりたい人は自宅の固定電話の番号を教えて、必ず留守電に入れといてくれたら折り返しするからねって言って。それと私ね、電話取るの早いんですよ。必ず2回までに取るの。


ーー自宅の電話を必ず2コール以内で取るんですか?

細川さん:そうそう。勤めていたときに、呼び鈴は長く鳴らせちゃいけないって教わって、それで、リーンってなったらパッと取って、必ず2回以内に取れます。

知恵さん:そんな大きい家じゃないのに、子機がいっぱいあるんです。


ーーああ、そういうことなんですね、だったらできますね(笑)

細川さん:そうなんです。


ーーでも、私はこうって決めていると、周りも結局はそれに合わせてくれますよね。

細川さん:そうですね、私は何も困ってないし不自由ないです。

知恵さん:家族は困っているんですけどね、連絡が本当に取れない!って(笑)


ーー自分にとって要らない情報は要らないんですよね。

知恵さん:でも、子育てしていたときの母は、子どもの私から見てもずっと家のこと、子どものことばっかりだったんです。


ーーええ、そうなんですか?

細川さん:周りからは「毎日ずっと家にいておかしくならないの?」とか言われたりもしたんですが、喫茶店なんか友達と行ったりとかしなかったし、本当に子どもだけでした。家の片付けをして、買い出し行って、料理を作って、子どもが帰ってくるのを待って、本当にそれで一日時間を使ってしまうからねえ。友達と遊びに行くとかって、そもそも行きたいとも思いませんでした。子どもを置いて出かけるっていうのがどうもできなかったんですよね。

知恵さん:だから本当に完璧な主婦だったんです。

細川さん:時間があれば家の片付けとかして、押入れのものぜんぶ出して掃除したり、私は押入れにホコリが溜まってたりするのも嫌だったから、そういうことで毎日時間はたっぷり使いながら家事をしていましたね。でも、いま思うとあんなことよくしたなあって自分でも思います(笑)


ーーそうだったんですね。じゃあここで小さい頃のお話もお伺いしたいのですが、どんな子ども時代だったんですか?

細川さん:4人きょうだいの3番めで、女の子は私ひとりでした。でもだからといって特別なことはなくて、まあ、真面目な子どもでしたね。


ーー真面目な子どもというと?

細川さん:父親が学校の教員だったので、昔はね、先生の子どもってきちんとしていなきゃいけないって子どもながらに感じていて、それで、親に恥をかかすとか迷惑をかけたりしたらいけないって思って、賢い子でいようって思ってました。「よくできるねえ」とか、何か褒められることをしなきゃいけないって自分なりにそういう思い方をしていました。田舎だし。


ーーなるほど、お兄さんや弟さんもそうだったんですか?

細川さん:みんなそうでしたね。2番目の兄は自由にしてましたけど、いちばん上の兄はきちっとしていました。でも、押さえつけられていたんじゃなくて、自分でそういう理解で、賢い子でいようとしてました。学校でも「先生んとこの子やし(しっかりしてるね)」とか「てい子ちゃん、やっぱり(いい子)ね」とか褒められると、これでよかったんやと思えました。


ーーでも、それは決して嫌ではなかったんですよね。

細川さん:そう、嫌ではなくて自然だった。でも、褒められたいからそうしていたっていう感じでもなくて、それよりも迷惑をかけないでいる自分とか、お利口でいる自分になろうと自然に思ってたんです。いま思えば、自分でそうしていたんですけど。最近は本当に自由だ! と思えるようになりましたね。



ーーそれは何がきっかけだったんですか?

細川さん:子どもが大きくなってきて、大学生になったころから、ぼちぼち家事に時間を取られなくなったころ、初めてパートに出ることになったんです。44歳くらいかな? その頃から変わっていきました。


ーーそれまでは子どものこと、家のことをしっかりという母親だったのが、変わっていったと。

細川さん:そう、子どものことだけで、それが幸せだったんです。でも、本当に「これが義務だから」とか「本当はしんどい」とか、思ったこともなかった。子どものことだけで幸せだったし何も不満もなかったし。そういう自分だったのがすごいなと思いますね。


ーー僕もいま2歳の息子がいるんですが、そんなお母さんて本当にすごいと思います。

細川さん:でもね、1回この子(知恵さん)が20歳くらいのころかな、娘宛てにいろいろ辛い思いをさせてごめんね、こんな苦しい思いもしたことあったでしょうっていう悔恨の思いを(手紙に)書いたんですよ。下の弟がいたから辛抱させたりとか待ちなさいとか、辛い思いをさせたのをごめんね、って。


ーー知恵さん、もらったんですか?

知恵さん:そうなんです。でもね、私は1回もそんなこと思ったことないんですよ。私が我慢させられたとか、しんどい思いをしたとか、本当に1回もないんですよ。でも、それを悪かったって母から言われて、私も言われて初めてそんなふうに思ってたんやって思って。


ーー優しいお母さんですね。

細川さん:自分でも思います(笑) あと、私はもう、絶対これはしっかりしてねって教えたのが、お箸をきちっと持つのと、鉛筆きちっと持つのと、お手洗いをきちっときれいに使うことと、お風呂に入るときのことと、それくらい。それをきちっとしてたら、あとはいいよって教えてました。でもこれって毎日のことだから(子どもたちには)うるさかったと思う。

知恵さん:本当に毎食毎食、お行儀とかマナーは言われてました。

細川さん:お稽古ごとを教えるのもきちっとしてたし。子どもがお稽古ごとに、例えばピアノに行く前は、私もちゃんと弾けるわけじゃないんですけど、なんかコツとかはすぐ分かって、教えられたんですよ。それをね、毎回先生のところに行く前に私が教えてたんです。もう義務のように。いまこの子(知恵さん)の子どもにも教えてます(笑)

知恵さん:そうなんです。いま娘がピアノ教室に通ってるんですけど、ふだんの練習は、母が家にいてうちの娘もいるときは、教えてもらってます(笑)

細川さん:私ね、子どものころから「これはできない」っていうのがなくて、何でもある程度みたらできちゃうんです。お習字も習ったわけじゃなくても学校代表になったり、絵とか、弁論大会とか。


ーーえ? 習ってもいないのに?

細川さん:習ってないのに。なんかね、教わるのは授業だけなんだけど、できるんです。別に自慢とか奢りとかじゃなくて、なんかできるんですよ。

知恵さん:何か始めたら、絶対に優勝するか何か賞とか必ずもらってくるんです。始めたことはぜんぶそうなんですよ。

細川さん:なんか「こういうものか」って分かったら、あとはお金かかるからそこで習うのは終わるんですけどね。例えば詩吟とかやりだしたら飛び級でクラスが上がっていって、そしたら月謝も上がるんですね。家元の先生もぜひいらっしゃいって言うてくれるんですけど、でも、何回か大会に出てこういうもんやってわかったら、あとはもう自分でやるからいいんです。ちょっとやって、自分で分かったらそれでいいんです、知りたいだけっていうか。


ーーなるほど、好奇心が強いんですね。そして器用でもある。

細川さん:ものになっているものはないんですけど、だいたいこういうものねって分かるところまで来たら終わる。でも、ダンスは私のライフスタイルになりましたね。


ーーそうですね、ダンスはいつから始められたんですか?

細川さん:ダンスはね、50歳くらい。私の両親を介護して看取ってから、さあ何をしようかなっていうときに茨木市の広報誌の下の方に「ダンスをやりませんか」っていうのがあって、公民館で健康クラブみたいな社交ダンスの集まりがあったんです。そこに行って、私は初めてだから経験ないですって言うところから始めたんです。

知恵さん:それをやろうと思ったきっかけっていうのが、母は自分がパートで貯めたお金で、独りでヨーロッパ旅行に行ったんです。そのときにダンスパーティーか何かに参加して、そういえば若い時にダンスって流行ってたなあっていうのがあって。

細川さん:ダンスはどこの国でも共通で仲良くなれるしね。


ーーなるほど、体を動かすことは好きだったんですか?

細川さん:そうですね、好きでした。


ーーそういえば、パートはどんなお仕事をされていたんですか?

細川さん:主に事務ですね。いくつかやりましたけど。


ーーそれで貯めたお金で1人ヨーロッパ旅行へと。

細川さん:ツアーに申し込んだんですけど、私は1人でした。女の人は誰か行こうとか連れだって動くのが楽しいっていう人多いんですけど、私はそういうのが煩わしくって楽しくないんです。人の心を考えながら動くのが面倒くさいから。

知恵さん:母は誰かがそばにいると、ついその人のことを考えちゃうんです。自分のことよりもその人に気を遣ってしまうところがあって。それが嫌だから、旅行も1人なんです。

細川さん:だいたいおばちゃんって3人とか4人とか固まって動くの多んですけど、私あれダメなんです(笑)なんでかね、1人のほうがいいんです。それに、見てて綺麗な光景じゃないとダメなんですよ。話が飛躍しちゃってごめんなさいね。


ーーいえいえ、大丈夫です。綺麗な光景っていうのは?

細川さん:若い女の人でも、歩き方がみんな汚いから、もっともっと歩き方のレッスンとかやって綺麗にしたほうがいいと思うんです。日本の女の子ってキリッと立っていないから、電車待ってる人とか見ても背中が丸まってて猫背だし、世の中みんな綺麗にしたほうがいいって思うんですよね。じゃないと、周りの人から見たら綺麗じゃないから。


ーーなるほど。周りから見たときに綺麗な光景ではないということですね。確かに、姿勢が美しくないと気になります。

細川さん:だから私ね、ダンスやってる仲間の男の人にかわいそうねって言うんです。なんで? って聞かれたら、海外の女性たちのヒップの美しさなんて同性でもルンルンするくらい綺麗よって教えてあげるんです。街のどこを見ても活気があるし、女の人は綺麗だなって思うし、日本ではそういうことってないでしょ? 歩き方はすごく大事だから、(綺麗な歩き方が)広まっていけばいいのにって思います。


ーー知恵さんもお母さんから姿勢についてはよく言われていたんですか?

知恵さん:はい、勉強のときとかは、勉強しろというよりも姿勢を正しくしなさいっていつも言われました(笑)

細川さん:私、電車に乗ってもね、後ろにもたれることってないのね。クセなのね、椅子の前のほうに座って。景色として見たときそのほうが綺麗になるでしょ? 電車の中でも街でも。だから何かこう固まって歩いていると、日本の景色として綺麗じゃないなあって思う。


ーーなるほど。では、ダンスについてお話を伺っていきたいんですが、やってすぐに何か感じるものはあったんですか?これは面白い! というような。

細川さん:これだ!というのはなかったんですが、嫌にならなかったから好きだったんだと思うんです。それで徐々に覚えて動けるようになったら、これがね、私ほかの人と絶対違うと思うんですけど、本気でできるようになったときに、ここね?(二の腕を指して)ここのたるみとヒップが垂れているのは、ちゃんと衣装を着たときに絶対情けない思いをすると思って、身体づくりしよう思ってスポーツジムに行ったんです。

知恵さん:思い出した、そうだった(笑) そういえば一時ジムに住んでたわ(笑) 


ーージムに住んでた?

細川さん:いや、普通だったら1時間とか2時間とかしてみんな帰るでしょ? でも私は朝からお弁当を持っていってね、休憩も自由だしお風呂も自由に入れるし。

知恵さん:朝から晩まで行ってて、もうほんと住んでましたよ!(笑) 

細川さん:私ね、女の人だと大きい部屋でみんなでダンスとかやったりするでしょ? でも、私はそれよりも男の人がやってるマシンでね、ベンチプレスとかやって。もうここ(二の腕)を絞るのとヒップをきちっとしなきゃ、ダンスをできるようになったら衣装も着れないわじゃ嫌やからって、私はもう何年も前からこっちに着眼して、身体を作るほうに行ったんです。

知恵さん:そうなんです。だって、50歳前後くらいのときに体脂肪率9%くらいのときがあって。


ーー9%ってすでに男性アスリートレベルじゃないですか!

細川さん:そう。そのときは本当にムキムキになってて、そうしたらダンスが上手な人に「あなた、ここ(上腕三頭筋)が出てるとまっすぐのラインに見えないから、衣装は気をつけないといけないよ」って言われて、それからはガンガンにやらないで、ステップとか、家でできる練習に変えて。


ーーじゃあ、衣装を着たら全然違ったんですね。

細川さん:それはいまでもどこの会場でも言われますね。背中がどうとかヒップが垂れてないとか言ってくれますけど、私は心の中では「それだけ私はやったもん!」って思ってます(笑) だから、衣装は思うもの着れる。自分のやった結果だから。



ーーそれは嬉しいですよね、こういう衣装を着たいと思ってがんばったわけですから。

細川さん:こういうのを着たいと思ったときに、身体がダメだったら着たくてもどうにもならないし、1週間とか1ヶ月でどうにかなるものでもないからね。私はもう何年も前から、いずれちゃんと踊れてもっと綺麗になりたいって思うときが来るからって、身体を密かに作ってきたんです。


ーーじゃあ、ダンスもできるようになって身体も思う通りになって、衣装も着たいものを着れるようになって、面白さはどんどん大きくなってきますよね。

細川さん:何でもそうですけど、分かれば分かるほど奥深くて、それもまた楽しいしやり甲斐があるし。


ーーそこから大きくニューヨークへと話が変わっていくんですが、どういう流れだったんですか?

細川さん:ニューヨークのダンスの競技会に出るっていうのは後に付いてきたことで、私って何でもかっこつけたい考え方があってね、普通に何の変哲もない日々を送ってこのままいくよりも、あんまりみんながしてないことをやってへえ〜って言われるような事実を作りたいっていうのがあるんです。


ーーなるほど。

細川さん:それで、何したらみんながびっくりするやろってずっと思ってて、何個かいろいろ考えていた挙句に、ニューヨークで生活するっていいやんって思って。観光には以前に行ったことあるんですけど、生活するっていうとまた違うと思うんです。毎日寝て起きて、ニューヨークのマンハッタンで、普通の生活をするってできるんかなって。それでマンハッタンに住んだんです。


ーーえ? 住んだんですか? マンハッタンに?

細川さん:はい、6ヶ月。1人で。


ーーそれはおいくつのときですか?

細川さん:50歳くらい? 2000年にダンスの大会に出たから。

知恵さん:本当は母は若い頃に留学に憧れていたんですって。だから、私がアメリカに留学したときも、まだいまほど留学って誰でも行ける時代ではなかったんですけど、母は一切反対しなかったんです。

細川さん:ましてね、女の子1人でね。よく行かせたねと言われましたけど、私は本人が行きたいなら行ったほうがいいと思ってね。

知恵さん:私は3人きょうだいなんですけど、私と弟は海外行きたいって言ったらすぐに「行きたいなら行っといで」って。「私は行きたかったけど簡単に行ける時代じゃなかったから」って。だから私からすれば、母が若いときから言ってたことが夢かなって良かったねっていう感じなんです。


ーーそれは素敵ですね。

細川さん:私、英語は全然できないんですけどね(笑)


ーーそこで、ダンス大会とはどういうふうにつながるんですか?

細川さん:実際、向こうに行ってただ寝起きして何日かして帰ってくるって芸のない話やなって思って、いる間にいろいろ考えたんです。そしたら、ニューヨークでダンスレッスンって芸能人でもよく聞く話やなあって思って、そうだ、ニューヨークでダンスレッスン受けよう思って。


ーーおお、なるほど! 日本でもやってましたしね。

細川さん:そう、でも、どっちかって言うと、ニューヨークでダンスレッスンしてきたって「言いたい」っていうほうが強くて(笑) ダンスの仲間に。それで行って、レッスンしてるあいだにニューヨーク大会があるから出ますか? っていう話になって、出る出るって言って出たらいい成績だったから、3ヶ月後くらいにオハイオで全米大会あるけどどうしますか? って言われて。でも私はニューヨークで競技会に出たっていう事実も作ったし、いいですって言って帰ってきたんです。お金もかかるしね。


ーー帰ってきたんですか。

細川さん:そうそう。3ヶ月のビザで行ってたし。でも、向こうの仲間にも出ろ出ろ言われてたし、娘にも相談したりしたんですけど、一生の中にいま辞めたら辞めたままで終わるなって思って、出ますって言って出たら結果も残るし、いまはやっぱりやるべきかなって思って、またチケット取って行ったんです。そしてニューヨークに行って仲間と合流してオハイオに行って、そして全米大会に出て、3位になったんです。


ーー全米大会で3位ですか!?

細川さん:社交ダンスはいろいろ段階あるから下の方だけど、経験浅い私にしたらもうすごいことで。私、自分にこんなことをしたっていう結果を作りたいっていうのがすごく強くて、糧にしたいところがあるんです。それで挑戦するんです。


ーーなるほど、そういうことだったんですね。

知恵さん:でも、ニューヨーク大会では優勝したしね。


ーーえ!? ニューヨークでは優勝だったんですか!?

細川さん:そう。でも、日本人はいなくって、日本人かなって思う人は香港とか台湾の人でね。やってよかったって思います。自分でそういう世界も見たし、何でも目の前にあることを、辞めたり挑戦しないで見過ごすのはもったいないことやなと思います。したらしたで自分の身体の中に残るからね。


ーーなるほど。そしていまはダンス大会を主宰する側になっているんですよね。これはどういう流れでそうなったんですか?

細川さん:これはすぐにじゃなくて、始めたのは2年前なんです。戻ってきてからは自分の技を磨くのに練習をやってたんだけど、主催者をやっていた方の1人ができなくなって、私にやってほしいって言われて。私は縛られるのが極力嫌だから断ってたんだけど、でも自分もそれなりの年齢やし、こういうことに関われるのもまた違う角度からダンスとつながりが持てていくなあと思ったから。


ーーいままでは競技者としてダンスに関わっていたけれども、今度は主催者としてダンスに関わるようになっていくわけですね。新しいことですね。

細川さん:そうしたらずっとダンスに関わっていれるからって思いを変えて、2年前からね。


ーーで、1回家を出るともう夜遅くまでずっと帰ってこないと。

細川さん:それはね、飲んでるんです(笑)



ーーあ、そうなんですね(笑)

細川さん:そう。飲むのも好きなんです(笑) 飲んでおしゃべりして、しんどくないのよね。それで帰ってきて、また次の日でもしんどくないんです。身体丈夫なのね(笑) もうこの年(72歳)なのに、しんどくてダウンってほんとないね。病気しないし、家族中が風邪引いても私は風邪引かないんです。予防注射もしたことない。


ーー予防注射したことないんですか!?

知恵さん:年齢が高くなれば予防注射って推奨されてるけど、母は受けないで、私とか周りがかかっても伝染らないんです。

細川さん:そう、みんな風邪引いても私はひかないの。咳も出ないし熱も出さないし、元気なんは本気に自慢できる。ほんと元気。


ーーすごいですね。でもいまは主催する側だからたくさんの人と出会いますよね? 疲れないんですか?

知恵さん:うーん、疲れると思うんだけど疲れないねえ。なんか、しなきゃいなきゃいけない立場になったら接待みたいなのも上手になったし。


ーー確かに上手そうです!

細川さん:そうそう(笑)私がやるようになってから人が増えて(笑) 主催は各所でやってて、私はカサブランカっていうのをやってるんですけど、あなたがいるから今日はこっち来たわっていう人けっこういて。私はそんなに社交的じゃないはずやったのに、上手なんです(笑) 私ね、おつりとか渡すときにも手をちゃんと握って渡すだけじゃなくて、目を見るんです。それで心込めてありがとうございましたって言うんです。これね、上辺じゃなくて本当にそう思ってるからできるの。


ーーなるほど。それにしても本当に元気で活動的ですが、パートに出るようになって変わったとおっしゃいましたよね。変わったきっかけは何だったんですか?

細川さん: うーん、物事を何でもプラスに取る人が身近な仕事仲間にいて、ものの考え方がマイナスだったのが、外に出るようになってそういう人と接するようになったらその人を尊敬できるようになって、身近にいる人の考え方で自分も感化されたところがあったんですね。それで思い方を変えないといけないなあって思うようになってから、弾けるようになりました(笑)。自分が明るくなったら周りの人も明るくなるっていうか、自分が変わったら周りも変わっていったんですね。


ーーそれと、お話を聞いているといくつか大事にされているキーワードがあるように思うんですが、美しさっていうキーワードを大事にされていますよね。

細川さん:そうそう、いちばん大事にしてる! 美しさ、見栄え、所作の美しさをいちばん大事にしてます。それは若い頃よりもいまのほうが気にしてます。人として、綺麗な自分でいるためにこうしたいと思うようになったのも年を取ってからで、だから子育てしてるときのメイクなんてやってこともなかったけど、でもいまはすごくしっかりやるようにしているし、お金をたくさんかけるわけではないけれど美に関してはいいと思うものは全部やってみてます。


ーー綺麗さを大事にしたいってすごく思ってらっしゃるんですね。それは見た目だけじゃなくて、内面も。

細川さん:それはもう美しくありたいってめちゃくちゃ思ってます。かっこいい人でありたいと本当に思っていて、年取ったおばあさんはもう仕方ないやんっていうのが嫌で、娘と服を見てても「これおばあさんっぽくない?」って私が言うと「おばあさんやん」って言われるんです。私別に自分のことを「私って若いでしょ」とか全然思ってなくて、でもなんか自分のこと枠外に置いてしゃべることあるんです。

知恵さん:自分の歳を忘れるんやな(笑)20代の女の子が行くようなショップに服とか見に行きますからね。

細川さん:そうそう。年齢に合わせてじゃなくて、私に合う服って考えるから、年相応のおとなしめの服を置いてあるようなお店はパスね。


ーー今日のワンピースはどこで?

細川さん:これは東京のZARAですね。私、高いブランドのものはもってないんだけど、自分で直したりするんです。自分が欠点だらけって知ってるから、それをさりげなく加工して、ダンス衣装も直します。そうするとどこの会場に行っても、自分に合わせてきちんと着こなしてるからまわりからいいねって言われます。


ーーそうなんですね。それにしても、自分のことをちゃんと分かっていないっていう人はどの世代でも最近多いと思いますが、細川さんは徹底的にご自分のことを分かってらっしゃいますよね。しかもかなり客観的に。

細川さん:そう、ものすごく自分を観察してる。それはもう長けてると思います。自分をすごく見てます。ぜんぶ意識してるもん。でも、焦点はぜんぶ綺麗でありたいってところに行ってます。私、自分が綺麗に生まれてたらこんな努力はしてないと思うんです。私ね、自分が綺麗じゃないの自分がいちばんよく知ってるんです。美人じゃないしかわいくないし、子どもの頃だって何もしないから不細工な子どもで、大人になってからもずっと家で、綺麗にするっていう気も向かなかったし。私、若いときは綺麗じゃなかったけど、50歳60歳、いま70歳超えて、このあたりのほうが私綺麗になったと思うんです。


ーーでも、そういう自分をコンプレックスに思っていたわけではなかったんですよね?

細川さん:いや、若い頃とかはコンプレックスだったんです。だからおとなしくてて目立ちたくない、人前に出るのも嫌で、子育て中も家の中でよかったって思ってたんです。でも社会に出るようになったら、自分を活かした生き方に変わったし、気持ちも考え方も変わったら表情も変わって、何もかもがちょっとずつ綺麗に変わっていったんです。


ーーそうだったんですね。

細川さん:気持ちの持ち方が変わっただけでね、いろんなことが綺麗に変わっていったんです。10年前もいまがいちばんいいやん!って思ってたけど、10年経ってもやっぱりいまがいちばん!って思えます。思い方とか気持ちで本当に変われるから、いまがいちばん!って思えるし、思ってます。ちょっとずつ変われば、ちょっとずつ変わりますから。


ーーなるほど。いまがいちばん!なんですね。たくさんお話をお伺いさせていただき、今日は本当にありがとうございました!これからもますます”いまをいちばん”に、ご活躍なさってください。

細川さん:はい、こちらこそたくさんお話聞いていただいてありがとうございました。




編集後記

真っ白のミニのワンピースに小さなクラッチバッグを持って登場した、ひときわ輝いている女性。それが初めてお目にかかる細川さんでした。

プラチナエイジ授賞式のお写真から華やかな印象は持っていましたが、実際にお目にかかるとその輝きはより明るく、強く、「自ら綺麗に輝こうとする意思」がはっきりと伝わってきました。そしてお話を伺っていくと、その意思の源は細川さんが自分に嘘をつくことなく、自分の”好き”を正直に、小さなことを一生懸命にがんばってきたからだということが分かり、同時に、自分も家族も友達も、身の回りの人をとても大切にする優しいお母さんだということも分かりました。

自分は特別じゃない、いいところもダメなところもどちらもある。でも、そのどちらも嘘偽りない私自身だから、いいところは伸ばして、ダメなところは努力して、一生懸命に”いま”を生きる。

そんな生き方を貫いている細川さんだから、これだけのドラマティックな人生を楽しんでおられるんですね。

プラチナエイジ振興協会は、細川てい子さんの変わらずのご活躍を今後も応援し続けます。

(インタビュー・撮影/2017.5.15 安 憲二郎)