夢は平和な日々が続くこと。未来ある子供たちに戦争は見せたくない

日本最高齢の女性映画監督である山田火砂子さんは、戦後女性バンド「ウエスタン・ローズ」で活躍後、舞台女優を経て映画プロデューサーになり、実写版の「はだしのゲン」、「春男の翔んだ空」、「裸の大将放浪記」など数多くの映画を製作・公開してこられました。初の監督作品はアニメ映画「エンジェルがとんだ日」。これは重度の知的障害者である長女とともに歩んできた半生を題材としたもので、その後も平成17年度日本児童福祉文化賞を受賞した「石井のおとうさんありがとう」ほか、多くの作品を製作。2024年3月30日(土)には 、最新作『わたしのかあさん ー天使の詩ー』が新宿K’s cinemaほかで全国公開となり、ますますパワフルに活動されています。
今回は、試写会スケジュールの合間を縫って、山田火砂子監督の夢について、お話を伺いました。

私の夢はとにかく平和な日々が続いたらいいなと思ってます。戦争を起こしてほしくない。平和国家のままでいてほしいです。

私は戦争経験者なんですが、もう二度と、目の前が真っ赤に燃え盛るあんな光景を見たくないんです。東京大空襲で周り全部が燃えている中にひとり置いて行かれて、あんな光景を見たくない。二度と。未来ある子供たちに、そんな光景は絶対に見せたくないんです。当時私は13歳で女学校二年生だから覚えてるんですよ。疎開させられていましたが、母親と弟を残してきていたこともあり東京に帰ってきていました。私は親切なおじさんに助けていただいたのですが、あのおじさんがいなきゃとっくに死んでいたんです。

あの日、上空を見た時のB29のすごさもよく覚えていますよ。生まれて初めて見た大きな飛行機なんですが、「よくこんなにたくさん飛行機があるんだな。よくぶつからないで飛んでいくんだな」と、もうびっくりしましたね。それが焼夷弾を落っことしていくんですが、夜の真っ暗な中に光っていって、そのあと全部が真っ赤になるんです。あれこそ総天然色ですよ。赤一色で燃え盛る火の。一軒や二軒が燃えるのと違うんですよ。煙もものすごいけど、もうなんていうのかな、とにかく真っ赤ですね。見えるものは全て真っ赤。そしてなかなか消えないんですよね。

私、花火を見るのが嫌いなんです。なんでかというと、思い出しちゃうから。涙が出てくるから。花火がね、パラパラとなんか、火の残りを引っ張っていくでしょう? それがね、焼夷弾が落っこちた後と似てるんです。ほんとそっくりなんですよ。花火が終わった後とね、アメリカさんの飛行機が焼夷弾が落っことして帰っていくのと。だから、私はあの夜を思い出すから、花火は見ません。戦争は本当に恐ろしいです。でも、もう私のように実際に戦争を経験している人がだんだんいなくなってきちゃっているんですよね。

だからいまもロシアとウクライナが戦争してますでしょ? 私が言いたいのはね、誰も(戦争を)止めないというのは不思議だなと思うのよね。このまま放っておいたら大戦争になっちゃって、もう、ちょっとなんとかするくらいじゃ消せなくなっちゃうと思うんです。だからいまのうちに「お互いにそんな人殺しをしてもしょうがないでしょ」という話し合いがつかないといけない。なんで止めないでいつまでもやってんのかな、これは金が儲かるからだろうな、きっと戦争やるとお金が儲かる国があるんだなって思ったりしてますけど、話し合うべきなんですよね。

じゃあ、平和が大事っていうと、昔はマザー・テレサ、マザー・テレサって言うんです。彼女が素晴らしい仕事をしたなんてことは私も重々存じ上げております。でも私は日本人だし、外国の人ばかりしか言われないもんだから、「マザー・テレサしか教えることがないのか」と思いましたよ。二言目には外国のことばかり。日本にも素晴らしい人はいっぱいいるのにね。

©2024 現代ぷろだくしょん

それと、私自身自分の子供にまさか知的障害者が生まれるなんて夢にも思わないでいましたから、映画で自分なりに運動できればと思い、福祉映画を撮ってきたということもあります。私が長女の美樹を出産した頃は、日本は障害者福祉の制度がまだ整っていませんでしたね。当時は「就学猶予」という制度があり、普通の小学校で入る年に「私の子どもは、学校へ行く力がありませんから、就学を辞退させていただきます」という書類にサインさせられました。美樹は、その後、筑波大付属となった大塚養護学校に入学しましたが、当時は障害者年金などもなく、学習・医療の費用が大きな負担でした。その後、国際障害者年が始まったら「乗り遅れたら大変」と、まるで我が国も昔から運動をしているような、コロリとした変わり様で。日本という国は、外国に弱いんだなあとつくづく思いました。

あと、いま、もうすごい魔法のような電卓というか、あんな機械(※スマートフォン)ができてきましたでしょ。あれはね、知的障害者の子には宝物ですよね。あれでだいぶ暮らしやすくなっているそうですよ。あの子たちにとっては、いろんなこと教えてくれる魔法の玉手箱みたいなものです。親も、自分が教えるより楽ですよね。機械が教えるんだから。お母さんの手が省けるし、本当に偉いものができたもんだと思います。

先日、映画「わたしのかあさん ―天使の詩―」が完成したんですけど、その映画のラストのほうに、障がいのある方たちを何人か出したんですよ。セリフを入れてるのは3人ぐらいだけど、歌も歌ってもらって出演していますから、ぜひ映画も観てください。

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映画「わたしのかあさん ―天使の詩―」
<ストーリー>
知的障がい者の両親のもとに高子は生まれた。
一時は周囲と違う両親を恥じたが、時は流れ…
高子を変えた、母・清子の思い出とは――
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先日試写会を行ったんですが、観てくれたおばあちゃんが「子供たちに観せたい」とか「うちの孫に絶対観せる」って言ってくださったんですよ。嬉しかったですね。私もおばあちゃんですけど、こういうことを「仕方がないから」と「しょうがない」という言葉で逃げちゃいけないと思うんです。親子とか友達とかについてもそうですし、いろんな社会情勢のことも考えなきゃいけない。そして子供たちも自分で勉強して、日本の立場とかそういうことも勉強していただきたいなとか思って、頭を絞りながらいろいろ考えながら作ってるんです。

私ね、映画はいつも「これが最後かな」と思って撮るんですけど、撮り終わると「もう一本また行けるかな」ってなるんです。それの繰り返しで、今度はアウトだろうなと思いながらも、いや、まだ行ける、もう一歩行けるって、やってきました。いまもまた次のことを考えています。

やっぱり映画はね、お客様が喜んでくださるのが一番なんです。お金を払って見ていただくのに、お客様が喜ばないものを作って、お客さんが来ないんじゃあ、それじゃ作る価値がないですよ。だからといってお客様が喜べば何でもいいのかというとそうじゃない。私は真面目な映画を作ります。でも、真面目でつまらないものだったら、自分の家でテレビを見てもらえればいいんです。やっぱり面白おかしく、子供が見てもわかるように、日本人もこんな偉い人がいたんだなというのを発掘しては映画にしております。

私も知的障害の子供を授かりましたが、弱いというか、そういう人たちを切り捨てて、強いものだけが残っていくと何をすると思います? これはね、喧嘩になるんですよ。そして土地の取り合いになって、戦争になるんです。だから、みんなで仲良く手をつなぎ合って生きたら戦争なんか起こらないですし、武器もいらないんですよ。単純に考えれば。ですから、やっぱり平和が一番なんです。私はそう思っています。

©2024 現代ぷろだくしょん

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【編集後記】
事前にいただいた資料や、ご自身の半生を綴ったご著書「トマトが咲いた」を拝読して、山田監督を「歯に衣着せぬ方」と思っていました。しかし、実際にインタビューでお話を伺うと、確かにストレートではありますが、それ以上に人を思いやるお気持ちや、ふと出てくる丁寧な言葉遣いがとても印象的でした。その上で過去の作品を拝見すると、どの作品のどのシーンにも山田監督の思いが凝縮されているようで、「ああ、このセリフにはあの思いが込められているんだな」と、より深い感情移入をしながら、まさに「映画鑑賞」を楽しむことができました。日本を代表する何人もの名優が「山田監督の作品ならば是非」と出演される理由もほんの少しですが分かったような気がします。
鑑賞後、「昨日より一歩でも成長した自分になろう」と思わせてくれる、そんな素晴らしい映画を作り続ける山田火砂子監督を、プラチナエイジ振興協会はこれからも応援してまいります。

(インタビュー・文/安 憲二郎

本記事に関する連絡先:プラチナエイジ振興協会事務局
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