「受賞して、ありのままでいいんだと思えたんです」

モデル:八田純さん


  
第1回プラチナエイジ授賞式ファッション部門のプラチナエイジスト、八田純さん。
  
俳優・モデルとして活躍され、代表作には日本テレビ「あぶない刑事」安田役、ミュージカル「西遊記」、日本BS放送「日本ぬくもりの旅」レポータースチール、CFでは「マクドナルド・ドライブスルー篇」などがあります。

現在は自身の活動以外にモデル事務所を経営、未来を夢見る若者たちに、自分が歩いてきた道で得た様々な経験を指導し、後進の育成に情熱を注いでおられます。

インタビュー当日は発生練習のレッスン日で、開始までのお時間をいただいて、これまでの生い立ちからお話を伺いました。


<目次>
  1. 憧れと雑誌を片手にタケオキクチに弟子入り志願
  2. 竹下通りにブティックが3軒しかなかった原宿時代、そしてモデルへ
  3. 自分と時代がマッチしたモデルでの活躍
  4. モデル事務所の立ち上げ、後進の育成
  5. 受賞して「ありのままでいいんだ」と思えた


1.憧れと雑誌を片手にタケオキクチに弟子入り志願


ーー八田さんはどういうきっかけでモデルの世界に入られたんですか?

八田さん: 僕は元々ジャズドラマーに憧れていて、バンドを組んでいたんです。それで、私の姉が演歌歌手をしていた関係で井沢八郎さんとご縁ができて、当時もすごく有名なドラマーのジョージ大塚さんの付き人になれるきっかけを得たんです。でも、そのとき僕は高校1年生になったばかりで、「行きます!」とは言ったんですが親に猛反対を受けて、結局断念したんです。まあ高校卒業してから行こうかという話にはなったんですが、これが最初の大きな節目でしたね。


ーーなんともタイミングが微妙というか、心残りですね。

八田さん: それで高校でもバンドをやりながらステージ衣装にも興味を持ち始めたんです。衣装ってどういうふうに作るんだろうって思って、自分が持っていた学ランをバラしましてね。そのとき白いスーツが欲しかったので、白い生地を学ランの見よう見まねで切って一着のスーツを作ったんです。


ーーそれはすごいですね!

八田さん: はい。当時「an-an」という雑誌が創刊されて、その中に菊池武夫さんというデザイナーの方がいましてね、その服が大好きだったんです。


ーーいわゆる「タケオキクチ」さんですよね。

八田さん: そうですそうです。それで菊池武夫さんの服が好きで、バイトしながら欲しいなって思っていたところに、田舎の浜松にブティックが一軒できたんです。なので、高校帰りに毎日のようにブティックに通って、店員さんと仲良くなって少し安く買わせてもらったりしながらね。ちなみにそのときに流れてた曲で耳に残っているのがオールマンブラザーズバンドの「エリザベスリードの追憶」っていう曲なんです。いまも携帯の着信音にしてるんです。


ーーそうなんですか! いい曲なんですね。

八田さん: でもね、聴いているとふつふつと沸いてくるものがあってね、「これはやっぱり菊池武夫さんの弟子になりたい!」って思い始めるんですよ。それでまた高校生のときに今度は「an-an」片手に東京へ一人で行ったんです。


ーーおお! ついに東京に。

八田さん: 当時ブティックが原宿にあって、そこに訪ねていったんです。「菊池さんの弟子にしてくれ!」って言って。高校生が「an-an」片手に一生懸命弟子にしてくれって言ったわけなんです。でも、当然ブティックになんて本人はいないですよね、デザイナーなんだから。


ーーそうですね。別のところで作業していると思います。

八田さん: でも、ブティックのお姉さんが親切な人で、「ここにはいないけど、代官山のアトリエにいるから電話してあげるわ」って言って電話してくれて、そしたら菊池さんが本当に電話に出たんです。


すごい!! タケオキクチご本人が!

八田さん: そう、それで電話口で、こういうことであなたの弟子にしてほしいんですって言ったら、菊池さんも笑いながら「じゃあ代官山に来てごらんよ」って呼ばれて、行ったんですよ。


ーー「an-an」片手の高校生がついにご本人に会えたんですね!

八田さん: そうなんです。菊池武夫さんはすごくいい方でね、親切に話も聞いてくださって、それならやっぱり高校を出てから来なさいよって言われて、僕もわかりました!って言って、それから一生懸命勉強してね。それでやっと高校を卒業してよっしゃ!いくぞ!と思ってまた行ったんです。でも、そうしたらそのときには菊池さんのところが大きく成長していて、すごいブランドになっていたんです。


ーーなるほど、もうその頃から大きくなっていたんですね。

八田さん: それでも部長さんとか偉い方にお願いして「菊池さんに会わせてほしい」って言って、面接とかもしていただいたんですけれど、デザイナーってパターンを起こせなきゃいけないですよね。だからひとまず専門学校に入ってそれから来なさい、それからでも遅くないからって言われてね。それで服装文化学院に入ったんです。



2.竹下通りにブティックが3軒しかなかった原宿時代、そしてモデルへ


ーーきちんと基礎から勉強するということですね。

八田さん: はい、それで最初に作らなきゃいけないのがスカートだったんです。でも、僕は男だから自分で履くわけにもいかないから、原宿の化粧品屋のお姉さんとかに声をかけて手伝ってくれる女性を辿っていったんです。その頃、原宿のとあるビルの地下に「ジプシーアイ」さんっていうちょっと変わったお店があったんです。そこにはよく行ってましたね。


ーーどんなお店だったんですか?

八田さん: まあ変わったファッションを売っているお店だったんですよ。それで僕も当時はたぶん20年くらい早いファッションをしていたんです。髪は染めてて顔はメイクをして、いろんな服を自分でも作りながらね。だから街を歩いていてもみんな「お化けだ」なんてヒソヒソ言ってましたよ(笑) だっていまから45,6年も前のことですからね。


ーー確かに45、6年前にそれだとかなりインパクトありますね(笑)

八田さん: 今でこそみんな髪を染めるのは当たり前ですけど、当時は染めてる人なんていなかった。そこで僕は七色だったり、ブルーの水玉だったりでね(笑)


ーーブルーの水玉に髪を染めてたんですか!?それはすごい!

八田さん: まあね(笑) でも、そんな格好をしながら、いろんな人からオーダーをもらって服を作っていったんです。当時は「ペドロ&カプリシャス」とかね、そういう人たちの服も作っていきましたね。


ーー経験を積んでいったわけですね。

八田さん: それで、僕が原宿に入り浸っていたころ、原宿の竹下通りってありますよね。あの通りって3軒くらいしかお店がなかったんですよ。


ーーあの竹下通りに3軒だけですか!?

八田さん: そうそう。いまはすごいよね。それでその頃のバイト仲間でKくんっていう子がいてね、ここでやっといまの世界に近づいてくるんですけど、彼が芝居をやっていたんです。で、彼に芝居ってどう?って聞くと、「面白いよ!」って言うわけです。「太陽にほえろ!」とかが始まった時代ですよね。それでだんだん僕も芝居のほうに感化されていくんです。


ーーなるほど、音楽の次は芝居の世界に入ったんですね。

八田さん: それでね、頭はこんどは金髪だったりするんだけど、そういう格好で原宿にいると雑誌社とかいろんなところが取材に来るようになったんです。でも、当時はそういうのは好きじゃないからっていって全部断ってね。そうこうしているうちに吉田拓郎さんが近くに「ペニーレーン」っていうお店を作って、「ペニーレーン」っていう歌があるじゃないですか。僕もよく遊びにいってね、そこに南こうせつさんとかも来てみんなでワイワイ飲んで、そんな楽しい時代がありました。


ーービッグネームが出てきましたね。お話を聞いているだけでもその楽しさに憧れます。

八田さん: そんなこともありつつ、僕が原宿を出るころかな、ちょうど竹の子族が流行りまして、その時代が終わるか終わらないかぐらいのとき、矢沢永吉さんの前衛をやったクールスがバイクで遊びに来てた時代に、僕は原宿を出て、いよいよ「青年座」っていう劇団を受けに行くんです。


ーーいよいよですね。

八田さん: そして芝居の勉強をしているときかな、卒業してからだったかな、バイトをしていたところでそちらの理事の日野さんと会ったんです。


ーーそうなんですよね、僕も聞いたときはそのつながりに驚きましたが。

八田さん: そうだよね、面白いよね。それで青年座を卒業して、こんどはミュージカルみたいなショーをやるところに移ったんですけれども、そこはみんな男性がちょっと同性愛系の人で、これはちょっと合わないなと思って辞めて、少し何もしないでいたんです。そこでモデルとしてスカウトされて、モデル事務所に入ったんです。


ーーようやくですね(笑) このときはおいくつぐらいだったんですか?

八田さん: このときは28歳くらいかな? 遅かったんですよ。父親役ができるよなんて言われて、自分ではまだそんな役できないと思ったんですけど仕事を受けたんですよね。


ーー28歳は確かにいまでも遅咲きのイメージですね。

八田さん: 初めてのオーディションを受けたときはね、当時はみんなソース顔で、いわゆる濃くてかっこいい顔の連中ばっかりだったんです。それで僕はもう太刀打ちできないって思って。でも、そう思ったんですけど、「カメラのさくらや」ってありましたよね。ご存知ですか? いまはもうなくなってしまいましたが。


ーー覚えています! 「安さ爆発みんなのさくらや」ですね。

八田さん: それだったんですけどね、一発で受かりました。


ーーおお、一発合格! それは気持ちいいですね!

八田さん: そう。そのあとも行けば受かる、行けば受かるっていう状態が続いたんですよ。なんでかって言うと、当時のモデルさんは芝居ができなかったんです。


ーーなるほど。

八田さん: 当時のモデルさんはみんな「はいこっち向いて!」「パシャ!」で終わりだったんだけど、僕は少しだけど芝居ができたから、行けば受かるっていう状態が続いたんですよね。


ーーこれまでの経験がきちんと活きたんですね。

八田さん: そうですね。それで「モデルっていいな」って思ってね。お金ももらえるし、行けば受かるし、それでずっとモデルの世界に入っていったんです。



3.自分と時代がマッチしたモデルでの活躍


ーープロフィールを拝見すると、誰もが知っているような番組や会社のCMなどにもご出演されていますよね。

八田さん: 当時は僕も年間15、6本はコマーシャルをコンスタントにやっていましたからね。月に4本くらい撮ったこともありました。行けば受かるような状態だったので。どういうわけか、どこにでもあるようなイメージなんですよ、僕は。


ーー客観的に自己分析していたんですね。

八田さんーー そうです。普通なんだけれどもちょっと違う、かっこよくはなくてもかっこ悪くはないという、温かみとかのイメージがあったのかもしれないですね。そしてちょっと芝居もできて、使い勝手がいいみたいな。モデルって、あまり固執しちゃうとダメなんですよ。仕事がないんですよね、偏っちゃうと。僕は何となく中途半端な感じだけれども、けっこう仕事はあった。


ーーなるほど。ちょうどいいところだったんですね。

八田さん: 当時は地方のコマーシャルも結構あったから、ジャパネットたかたさんの初めてのコマーシャルを地方に行って撮ったり、WOWOWが入ってきたときも、WOWOWのインタビューさせてもらう初めてのコマーシャル撮ったのもそうだし、オージービーフが入ってきたときも僕が初めてのコマーシャルだったんです。


ーーじゃあ僕もきっと見てましたね。

八田さん: あと、いまはコマーシャルでタバコを吸ってはいけないんですが、吸ってもいいとされていた時代があったんですよね。その時代で、最後に作られた「タバコを吸っているシーンがあるコマーシャル」に出てたのは僕なんです。


ーーそうなんですか! 「初」のコマーシャルだけではなく、「最後」のコマーシャルもやられたんですね。

八田さん: そうなんです。これが当時の僕なんですけどね。


ーーえ? この人ですか? あ、確かに。でも別人ですね、いまのほうが断然かっこいいと思います。

八田さん: そう? ありがとうございます。当時は若く見られがちだったから、髭を生やしたりしてね。いまでも僕は白髪がないんですけど、こんどは年相応に見えないっていうことで困ってるんです(笑)


ーー若く見られすぎてしまうんですね。

八田さん だって、白髪が出てきたら同年代のモデルの人たちはみんな髪を黒く染めたんですよ。でも、いまはちょいワルおやじとか言ってそういうのがなくなりましたよね、それでみんな染めるのをやめて白髪はそのままにするようになったんです。それで僕も白く入れたりしたんですけど、もういいやって思って。



4.モデル事務所の立ち上げ、後進の育成


ーー逆のご苦労がおありなんですね。それと、ホームページを拝見すると若い人たちの育成にお力を注いでいるようなんですが、これはいつごろからなんですか?

八田さん: バブル崩壊のあとですね。バブルが崩壊したときからちょっと悪くなってきて、所属していた会社にももっと営業してくれって言ったんですけど、なかなか営業もしてくれなくて、いっそのこと他の事務所に移ろうかとも考えたんです。でも、いろいろ動いてみるなかで、ある程度年齢を重ねていたこともあって、自分でやりたいなって思うようになったんですよね。そのときにあるスポンサーがいてね、その人とうまく話が合って、モデル事務所を立ち上げたんです。


ーーなるほど。でも、どうして自分のことだけじゃなくて、事務所としてモデルを育てていこうと思われたんですか?

八田さん: 新しくこの世界に入ってきたときにノウハウって分からないじゃないですか。僕は経験してきたからそれを伝えることができるし、手探り状態でやるよりは分かった状態でやるほうが早いですよね。それでやりはじめたんですよね。


ーー確かにおっしゃる通りです。

八田さん: それにね、オーディションを受けても、ダメだったらダメの通知が来て終わりなんですよ。当人はどうしてだろう?って言って、ダメな理由が分からないんです。


ーーなるほど。そういえばオーディションって、落ちたら落ちたの結果だけで、なぜかっていう理由は教えてもらえないですよね。

八田さん: どこの事務所もそうなんです。でも、うちの事務所はきちんと反省をして、自分の何がいけなかったのかがよく分かります。そうすると次回行ったときにそれを直せば、受かる確率が上がるわけですよね。これは他では絶対やってないし、やれてないことです。


ーー八田さんだからこそできる、ということですね。

八田さん: そうですね。あと極端なことを言うと、こないだも僕が入れ歯安定剤のオーディションを受けに行ったんですけど、入ってみたら他のみんなは髪が真っ白なんですよね。それで僕はもう諦めたんです。なので、自分の番ではプロデューサーに名刺を配って、営業始めたんですよ。オーディションの最中に。


ーーええ!? オーディションの自己アピールじゃなくて営業したんですか?

八田さん: そうそう。たぶん僕は今回はダメだと思うけど、僕はキャスティングもやってるんで、次の機会にはぜひお願いしますって。もう経営者のほうに切り替えてね(笑) オーディションで営業やる人なんていないですよね。でも、そのあと芝居とかもちょっとあったんですけど、結局僕、このオーディション取ったんです。


ーー営業かけたのにオーディション取れたんですか? CMに?

八田さん: そう、取れたんです。営業したのに(笑) それでこないだその仕事に行ってきて、そのプロデューサーに御礼を言ったんですよ。「プロデューサーが言ってくれたからですよ」って言ったら「うん、そうだ!」って。「彼は芝居ができるからって言っといたんだよ!」って言ってくれて、僕もありがとうございますっていうことで。10月ごろから流れる予定なんですけどね。


ーーそれはすごい(笑) それにしても業界の裏話は面白いですね。

八田さん: そうでしょうね。例えばうちの女の子で、オーディションをかなりたくさん受けるんだけど、行くたびに落ちる子がいたんですよ。それで、どうしてかなあって思って、たまたま僕がキャスティングをした仕事だったこともあって、オーディションのビデオを見せてもらえたんですね。そうしたら分かりました。


ーー何が分かったんですか?

八田さん: 喋っているときはいいんですけど、一瞬、ほんの一瞬、喋り終わったときに「暗い」んです。


ーーああ、なるほど。

八田さん: 彼女の本質的な何かなんだろうけど、一瞬それが出るんですよね。他の子たちはみんな明るいんですよ。でも、彼女だけ陰りが出ちゃうんです。それで彼女に「今度はな、オーディションのときは絶対に歯を出して、口を閉じないようにしてずっと笑っていなさい」って言ったらね、そのあと受かりましたからね。


ーーえ、受かったんですか!? そんな些細なことで!?

八田さん: そうなんです。見事に次で受かりました。もちろんこれは一例ですけど、こういう見直しって本当に大事なんですよね。


ーー他の商売だと数字でPDCAで分かりますけど、こういう仕事では分かりにくいですよね。

八田さん: そうですね、この業界の事務所ってやっぱりみんな同じで、オーディション受けても落ちたらそれで終わりになっちゃうんです。でもそれだったらいつまでたってもその子も成長しないし、何かしらね、みんなの前でやらせることで分かるんですよ。


ーーフィードバックは他の業界では当たり前でも、この業界ではそうではなくて、だからこそすごく重要なんですね。

八田さん: もっともっとみんなに分かってもらえるように、オーディション先でも名刺を出すくらいの気持ちでね、笑いを取ってくるとかやらないと。普通モデルだったら絶対そんなことしないですからね。自己紹介して、得意分野を言って終わり。僕はその点違いますからね。オーディション終わっても「ところでこれってロケですか?」とかプロデューサーに話しかけたりね。


ーーこっちは経営者ですからね。

八田さん: こういうこともあったんですよ。オーディションのときに前の人の順番の後で待ってる場合とかあるんですよ。そしたら僕の前の人がどうやら以前にこのオーディション主催者の人と仕事をしたことがあったみたいなんです。「君、こないだ一緒にやったよね」「はい、その節はお世話になりました!」とか「あの時は雨ひどかったよね」とか話してたんです。それを聞いていて、いざ僕の順番でなんて言ったかというと「僕は晴れ男ですから」って。


ーーおお! なるほど!

八田さん: で、その一言で僕決まりましたからね。


ーー決まったんですか! やっぱり創意工夫ってどこでも必要ですね。

八田さん: そうなんですよ。記憶に残らないといけないからね。いろいろ考えて、そういうことも教えています。



5.受賞して「ありのままでいいんだ」と思えた


ーーでは、八田さんはプラチナエイジストを受賞されて、何か変わったこととか意識を変えたことはありますか?

八田さん: 取り立てて変わったとかはないんですけど、実はちょうど、さっきの白髪がないって悩んでたときの受賞だったんですよね。それで「あ、白髪がなくて良かった」と。これでいいんだと思えて。それからはもう、何もせずありのままで行くようになりましたね。


ーーそうだったんですね、ありのままでいいと。

八田さん: そう。人生の折り返し地点でこういう賞をもらえてね、逆に「俺こういうのもらったんだけど、何かない?」って営業に行けたこともあります。まだ実にはなっていませんが、受賞したプラチナエイジストなんだって意識は持つようにしています。僕は次々何かをやっていくタイプではないですが、みんなと一緒にがんばっている中でもね、気持ちも若くいられるんじゃないかな。


ーー確かに、八田さんのように定期的に若い世代と一緒にいると、実感できる区切りにしていただけるんですね。じゃあ、同世代の方々に対して思うところは何かありますか?

八田さん: 僕の仲間は元気なんですよね。自分のお店やったりアウトドアやったり、いろんなことやってますから。同窓会で田舎に帰った時とは大違いですよ。同窓会で会うとね、ポロシャツの襟を立ててるだけで「襟を立てるんだ・・・」なんて言われますから。同窓会は全然違う世界に来たって思うくらいですよ(笑)


ーーだいぶ違いますね(笑) では普段意識して大事にしていることはありますか?

八田さん: あります。いっぱいありますよ。僕は肩幅がないので常に筋トレしたり、食事を意識したりね。そうそう、授賞式でも南雲クリニックの南雲さんに「最近お腹が出てきてるんだけど」って相談したら「食事を抜いたらいいですよ!」って言われて、それで実際やってみたら実に7kgも落ちました。


ーー7kgも? それはすごいですね!

八田さん: 2、3ヶ月でね。すぐに落ちましたよ。でもちょっと痩せすぎちゃったかなと思うので、いまは戻しているところです。


ーーではお時間もそろそろなんですが、いまいちばん情熱を持っていることは何ですか?

八田さん: 個人的には筋トレですね。身体をしっかりつくる。あとは、いま教えているメンバーがもっと伸びて、独り立ちして、テレビで活躍するようなところまでね、育ててあげたいなって思います。やっぱり僕自身がこの仕事をやってて良かったって、俺はこれだけやれてるぞって思えたことがいっぱいあったので、彼らにもそれを味わわせてあげたいですね。


ーーやっぱりそこなんですね。

八田さん: 僕が前に出ていると、それこそオファーはどんどん来るんですよ。でも、そうじゃなくて彼らにもどんどんいい仕事を回してあげたいと思って、それでキャスティングの仕事も始めたしね。もちろん、一人ひとり個性も違うし、みんながみんな出るわけにはいかないのも重々分かっているんですけど、それでもやっぱり、いい気持ちを味わわせてあげたいなあってね。


ーーこれからの人たちにもあの気持ちを味わわせてあげたいと。

八田さん: 今日のメンバーはスタートの時期の子たちなんですけど、何も知らない、何もわからないままでオーディションに行くより、やり方が分かれば余計な横道に行かなくても済むじゃないですか。やっぱり最初は緊張するし、そのときに自分自身の強みとかちゃんと分かっていれば、自信にもなりますよね。だから、精神面でもやり方でもしっかり身につけてもらって、夢を叶えていってもらえたらいいですね。



ーーそうですね。本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

八田さん: ありがとうございました! ぜひ、居合の日もいらしてみてください。そっちもすごくいいですから。


ーーはい!ぜひお伺いさせていただきます!



そして一週間後、居合の体験にお伺いさせていただきました。テレビではよく観るけれど、実際にやってみると想像とはまったく違います。


模造刀とは言え片手では持っていられないくらいに重いし、動きの型も、たくさんのポイントを意識しなければ美しく見えません。握る力、切っ先の位置、腰の入れ方から足さばきまで、八田さんは「こうだよ」とおっしゃいますが、感覚を掴むには長い修練が必要だとすぐに分かります。


しかし、八田さんがお手本を示すとまさにテレビで観たあの動き。無駄がなく、キレがあり、空気を切る音まで聞こえます。積み重ねてきたもの、時間をかけて身につけてきたものの圧倒的な凄みをまざまざと体感させていただきました。

八田純さん主宰「居合club」Facebookページはこちら(毎月第3週木曜日に開催・体験も可)


編集後記

インタビュー終了後、若手の研修生に発声練習をしている様子も拝見させていただきました。

高校3年生から社会人まで、皆それぞれに夢を持ち、八田さんのもとに訪れた若手の一人ひとりに、丁寧に声をかけ、指導をしていく八田さんは、とてもおだやかでした。しかし、日を改めての居合のレッスンでは、佇まいからオーラが違い、本当の武士がそこにいるような迫力がありました。

どんな業界でも上辺だけのメッキでは生き残っていけませんが、特に厳しいモデルの世界で長年にわたって活躍しつづけている八田さんには、確かな情熱、確かな信念、そして積み重ねてきた創意工夫の日々が感じられました。

そして同時に、八田さんが歩んできた道は、きっとそのままプラチナエイジの皆様の青春なのだと思います。誰もが憧れ、誰もが胸ときめいた、あの時代。八田さんは、まさにプラチナエイジの夢の代弁者なのです。

プラチナエイジ振興協会では、引き続き八田さんのますますのご活躍を応援してまいります。


(インタビュー・撮影/安 憲二郎/2017.7.13)