「26歳で人生の修了予定日を決めた」

株式会社企画塾代表取締役社長:高橋憲行さん


2015年度、第1回プラチナエイジ授賞式・企業家部門プラチナエイジストの高橋憲行さん。
  
学生時代から事業を始め、30代前半で関西文化学術研究都市の構想から実現までを統括、37歳で企画書関連の書籍が大ヒットし、日本の大企業が企画書を導入するきっかけを作り、いまでは深く定着しています。
        
現在はマーケティングの教育実践会社「企画塾」を主催、自身が確立したCTPTマーケティングで多くの成功事例を生み出しつづけており、そのCTPTマーケティングを実践、習得できるMP講座(マーケティング・プランナー養成特別講座)は30年もの開講実績があります。
        
経歴を見るだけでもとんでもない方ですが、お会いしてお話を聞いていると終始にこやか。いつのまにかお話にどんどん惹き込まれ、質問は止まらなくなってしまいました。


<目次>
  1. 休肝日なしで35年!
  2. 食事は1日1.5食、鍋レシピは20以上!
  3. 高橋さんの学生時代
  4. 高校3年12月から受験勉強、それでも大学合格
  5. 大卒初任給の10倍を稼ぐ学生ベンチャー
  6. 金融危機でもV字回復
  7. 企画の視点は身につけられる
  8. 同世代へ思うこと
  9. 26歳で人生企画、65歳を修了日に
  10. 積極的不遇期を設定する
  11. 新たな人生企画、次はロボット
  12. 高橋憲行さんの著作からおすすめの書籍

1.休肝日なしで35年!


ーー60歳を超えてますます輝いている方って本当に多くて、現役を退くとかシルバーとか、そういう言葉のイメージがふさわしくない活躍をしている方が本当に多いですよね。

高橋さん:もう生涯現役100年時代ですからね。そこまでどういうふうにするかってことでしょうね。ま、僕は割ともう準備はしちゃったかな・・・っていう感じはしますけどね。


ーー準備をしちゃったというと?

高橋さん:たぶん90歳超えてもピンピンしてるだろうね。


ーーそれはどんなご準備をされているんですか? 肉体的にとか精神的にとか?

高橋さん:ま、両方ですね。要するに、健康を維持するってことですよね。食事は別段意識するわけではないけれども、自分でも作りますし。健康のバロメーターとして言えば、お酒は僕は35年間以上欠かしたことがない。休肝日はないんです。


ーー「欠かしたことがない」んですね(笑)

高橋さん:お酒が悪いというのはみんなの大誤解で、本当は氷が悪い。


ーー氷ですか?

高橋さん:呑兵衛は、みんな一次会、二次会、三次会と、氷を入れて飲むから身体を悪くする。僕は身体を冷やさないってことをずっとやってるんです。

        
ーーああ、なるほど!

高橋さん:だから、お酒を飲んでも氷を使わないから代謝が落ちないんです、氷の入ったお酒を、夕方6時から、終わって二次会、さらにカラオケで三次会など、6時間も呑んでる。低体温になり、解毒作用が遅くなるでしょう? 最近ようやく身体を温めるとかそういう話も多いけれども。


ーー身体を冷やさないのが大事っていうのはいつ頃からから実践されているんですか?

高橋さん:35歳くらいから普通に。最近では、お医者さんも「身体を温めると健康にいい」と言い始めるようになりましたね。


ーー自分には普通だったことが、世の中がそう言い出したと。

高橋さん:そうそう。20代ころから、呑みすぎて身体を悪くした。だから僕は体験的にね、氷を入れて身体を冷やすと代謝を悪くすることが分かってたから。


ーーその「体験で」っていうところが大切ですよね。

高橋さん:呑み会でも自分だけでも、必ず氷を入れるのが習慣ですね。
またお店に行くと、グラスが空いてたら気が利いた人が、氷を入れてくれるんですよ。いらんと言ってても、別の人が気を利かせて入れるから(笑) めんどくさい! ・・・と、それをほったらかしにして氷入りを呑んでると、朝がちょっと変だなと。
起きられない、それに品のない話で、下痢か便秘になる。体調最悪!!
 消化器官が仕事をしてくれないんですよ。だからもう、全然氷は入れない。


ーーなるほど。

高橋さん:私の呑み方は、まずビールをジョッキで1、2杯。食事は日本酒の冷酒ぐらいですから。冷酒なんてちょっと置いといたらすぐ10℃を超えます。2次会は絶対に常温しか飲まない。


ーー常温で飲めるものっていうと?

高橋さん:いや、ウイスキーのストレートですよ。あと焼酎のストレート。


ーー全然大丈夫なんですね(笑)

高橋さん:そう。人の何倍も飲みますが、朝起きてまったく問題がありません。それを考えると、いかに氷を入れて呑むのが悪いか分かるでしょ。


ーー次の日は平気なんですか?

高橋さん:昔は飲んだら次の日はきつかったですよね。20代くらいの頃の氷を入れた飲み方は。35年間呑み方を変えたおかげで、20代よりも今のほうが健康。だんだん健康になってきてます。今はもう、身体を壊すなどありません。体調は快適そのものですね。


ーーあと、高橋さんは本当にいろんなところに出張されていますよね。それでも体調は崩さないんですか?

高橋さん:そうそう。それでも呑んでる(笑) 11時過ぎまで呑んでも、朝は4時には起きて、6時ごろの新幹線の始発で次の出張先に行きますから。


ーーそうなんですよね、早起きでいらっしゃるんですよね。

高橋さん:2次会なんかに行ってお客さんと付き合って、11時過ぎなんて普通にありますからね。でも次の日は4時起き。スッキリ起きられます。人の倍の酒を飲んでいてもね、身体を冷やさないから。だから、たぶん皮膚とかの色ツヤとかは悪くないし、シワとかもあまりないと思うし。


ーーそれは最初に思いました。男性では珍しいくらいにエイジングが進んでいないなと。

高橋さん:そういうところにも影響が出てると思いますね。だから同窓会でホテルとか行って一緒にトイレに入ると大きい鏡があるでしょ、その瞬間に「ああ、僕はこの年齢と一緒なんだ」って、ギョッとすることがある。


ーー他の同い年の方と並んで分かるんですね(笑)

高橋さん:そう。まあ10歳は違うかなとか。ちょうど一昨日ね、4件の仕事があって3件が女性の方だったんですよ、お会いしたのが。で、みんな僕を50代前半くらいに思ってるんですよ。


ーーはい。そう思うと思います!

高橋さん:まあ僕の本の数とか、かなり前から活動してるとか分かっている人には、だいたい聞いてみれば60代前半とかは言われることありますけど、まず60代後半に言われることは全然ない。だからその4人の中の最初の人は会計事務所の先生で、60歳半ばでね、上から目線で話されてきて。でも僕のほうが上だったっていう(笑)


ーーそのときその会計事務所の先生はどうだったんですか?

高橋さん:ああ、失礼しました!って(笑) やっぱり、身体の内側から何とかしてるってことが大きいと思います。ただ、アンチエイジング的なことを言うと、体力を落とすのはまずいと思うので加圧トレーニングはやってますよ。週に1回。ちょうど明日行くんです。


ーートレーニングはどれくらいの時間をやられるんですか?

高橋さん:1時間ちょっとですね。加圧はその半分で、始めは一般的なトレーニングをして、最後に加圧トレーニングをする。パーソナルでね、ずっと付きっきりで見てもらうんです。


ーーもう長くやってらっしゃるんですか?

高橋さん:これは6、7年です。出張の都合がつかなくて休むことはあるけれども、ほぼ行ってます。筋力も増えているようです。最初はウェイトが全然上がらなかったけど、始める前から比べると倍ぐらいになったんじゃないですかね。筋肉を増やすんではなくて、筋力があればいいからね。


ーーお腹も全然出ていないですよね。

高橋さん:基本はやっぱり身体の年齢、肉体年齢が若くないといけないですよね。70歳なんてただの戸籍年齢ですからね。年齢には4種類あって、戸籍年齢、肉体年齢、見た目年齢、精神年齢とね(笑)
 間違いなく老衰しますが、アンチエイジングをしておくのは基本中の基本でしょう。



2.食事は1日1.5食、鍋レシピは20以上!


ーー身体をしっかり作っておくことがまずありきと。

高橋さん:そうそう。暴飲暴食しないし。南雲さんもね、一緒にプラチナエイジ受賞になったけど、彼は一日一食と言ってるじゃないですか。僕は一日1.5食くらいなんだよね。夜だけなんです、基本は。


ーーええ! そうなんですか!?

高橋さん:朝はほぼ昼は食べない。果物だったり、納豆系とかヨーグルトとか、そういうものが多いですね。発酵食品とかは割といいし。だけどね、何品目食べなければいけないとか取り憑かれている人っていますよね、僕、それ関係なく食べる。


ーー関係なく(笑)

高橋さん:要するに何百万年という人類の歴史の中で、ほとんどの人が飽食状況になったいまの状況は、わずか100年も満たないですよね、言ってみれば。人類史とは、つねに飢餓状態だったんですよ。だから飢えには耐えられるんですよ。おそらく1日ラーメン1杯で十分なんです。人間は飢えには耐えられるから、飢えには体内がいろんなものを細胞レベルでコントロールしてくれると思ってるんです。ただ偏食やっちゃうと鉄分が足りなかったりする問題はありますけど、普通に一食を食べれば問題ないでしょうね。


ーーその夜の一食はお好きなものを召し上がるんですか?

高橋さん:多いのは鍋ですね。野菜はたくさん摂れるし、魚も肉もありますし、鍋は多いですね。僕は自分のオリジナルの鍋レシピ20〜30種類持ってますよ。


ーー20〜30ですか!? 鍋レシピでその数はすごいですね!

高橋さん:みんな僕んとこ来ると鍋を作ってもらいたいって言いますよ。だから家でよくホームパーティーやってます。ちゃんとビールサーバーもあればワインラックもあるし。


ーーもうお店ですね(笑)

高橋さん:そう、店状態(笑)



3.高橋さんの学生時代


ーーところで、高橋さんは小さい頃はどんなお子さんだったんですか?

高橋さん:かなりいたずらっ子だったと思うけどなあ。


ーー地元はどちらなんですか?

高橋さん:鳥取です。それで京都で大学に行って、大阪で起業したんです。それでしばらくして著作が爆発的に売れて、東京からの仕事のオファーがどんどん来るようになり、東京に来たんです。


ーーそうだったんですね。いたずらっ子って、結構いろんなことをやっちゃったんですか?

高橋さん:じゃないかなあ(笑)


ーー面白いことをやるのがお好きなのかなと感じていたんですが。

高橋さん:絵を描いたりするのが好きだったんです。ちっちゃい頃から絵はよく描いてましたよ、だからデザイナーになったんでしょうね。


ーーそれはもう、紙とペンがあればサラサラと描いちゃうような。

高橋さん:そうそう。


ここで同席の広報担当者の方から、オフィス入り口の大きな絵は高橋さんが描いた作品と教えていただきました。かわいらしいカエルたちがバンドで演奏しているイラストです。


ーーこれ、高橋さんの作品なんですか!?すごい!!

高橋さん:「無事帰る」ってね。それは20歳くらいのときかな、描いたのは。


ーーすいません、思わず席を立ってしまいましたが、すごいですね!

高橋さん:作ったりとかは結構好きでね。いろんなものは自分で手作り。仕事場のデスクとかも自前でコックピットみたいに作っちゃうし。この会議室にある棚もニトリで買ってきた棚を組み合わせて天板だけ特注して、きちっと作り付けみたいにしてるんです。


ーーぜんぜん気づきませんでした。ところで、プロフィールを拝見しても、子供時代や学生時代などのことを見つけられなくて、いったいどうやって高橋憲行という人物ができてきたのか興味があったんです。よく、親の影響とか親友の影響という話は聞きますが、高橋さんはそういう点ではどうだったんですか?

高橋さん:両親の影響ってことではないだろうなあ。禅宗の寺院でしたが、当時は完全に斜陽でしたからね、あとは妹がいたくらいで、特に何かあったわけではないし。


ーー自分で何かやろうと思ったきっかけはあったんですか?

高橋さん:そうだなあ。なぜかねえ、地図が好きでしたね。不思議なことに家にはいろんなところに地図が飾ってあってね、台湾とか朝鮮半島が日本と同じ色のやつとか。満州国とかも書いてあってね。


ーーそうなんですか。地図がお好きと。

高橋さん:なぜか不思議なことに地図の模写とかしてたから。


ーー地図が家にたくさんあるのも面白いですが、模写までされていたとは驚きです。

高橋さん:いまでも書こうと思ったら世界地図くらい何も見ないでも書けますよ。学校の勉強なんてろくにしてなかったけど。地理とかそれに近いジャンルだと得意で、全国模試みたいなのがあって、地理で日本で一番になったこともあった(笑)



4.高校3年12月から受験勉強、それでも大学合格


ーー日本で一番ですか! じゃあ、勉強は好きか嫌いかだったら嫌いだったんですか?

高橋さん:嫌い。大学入試の前に呼び出されて、先生に受験勉強どれくらいやってるんだと聞かれ、1時間くらいって言うと「東大に入りたい・・・ってヤツが1日6時間以上勉強している。おまえは国立には絶対に入れない」って、何時間もえらい怒られました。ほんとは、受験勉強を1時間もやってなかった(笑)


ーーでも大学には入られたんですよね。

高橋さん:そう、田舎は絶対出たかった。親は国立大学に入れなかったら、「駒澤大学を卒業して跡を継げ」と言われてた。僕は地理の勉強をしようと思って東京教育大学(現・筑波大)に入りたかった。しかし高校の受験指導の先生は「絶対に入れない!」の一点張り。そしてどういうわけか、地図とデザインの共通点を見つけて、千葉大のデザインを受験することにしたんです。で、年が明けて受験直前に国立2期校に京都工芸繊維大学というのがあることを知った。受験の直前(笑)
で、そのデザイン(意匠工芸)に入れたんです。
受験指導の先生から「おまえのレベルじゃどこにも入れない!」って言われて、畜生って思って3年の12月ぐらいから勉強を始めて、受験の直前に京都工芸繊維大学を知って受けたら受かった(笑)


ーーいやいやちょっと待ってください、3年生の12月ですか? ほとんど直前って言ってもいいくらいじゃないですか(笑)

高橋さん:まあ2ヶ月ちょっとぐらいかな。2月の初めに一期があって、3月に二期があって。


ーーそれで本番を迎えるわけですよね。

高橋さん:まあ通っちゃいました(笑) すぐ奨学金ももらえて。


ーー学校の先生はそれを聞いてどうだったんですか?

高橋さん:びっくりしてましたよ。(自分の予想が)外れたな! でも良かった! って言ってご馳走してくれました。



5.大卒初任給の10倍を稼ぐ学生ベンチャー


ーーそうだったんですか。じゃあ、学生時代からご自分で企画したりとかもいろいろやられていたんですか?

高橋さん:学生時代から仕事はしたましたからね、アルバイトではなくベンチャー的なことで。デザインをやる人なんてプロすらいない時代でしたから、そういうのを請けてスタートしました。その頃は普通にどこかに入社すると大卒の初任給が2,3万円くらいの時代でしたけど、僕は月に20万とか普通に稼いでました。


ーーええっ! 学生時代にですか!?

高橋さん:そうそう。だから就職しなかったんです。


ーーそれでデザインというところで、ビジネスのキャリアも始まるんですね。

高橋さん:まあ家も出たかったし、結果的にはデザインに入ってね。東京オリンピックの後で、そこでデザイナーっていう存在が知られたんです。でもデザイナーってほとんどいなかったんですね。仕事はあるけどデザイナーが足りないっていう時期。だから僕にも仕事がまわってきて。けっこう裕福でしたね。後輩に飲ませたりね。あっちこっち飲みまくってました。


ーーけっこうどころじゃないと思いますが(笑)

高橋さん:いまだったら毎月300万くらい稼いで、毎月100万以上は酒飲んでる感じ(笑)


ーーところが、デザインで進んでいったのがいまは企画書やマーケティングへ移行されているわけですが、これはどういう経緯ですか?

高橋さん:デザインは形に見えるものじゃないですか。でもさらに経営とかはもっと奥が深いじゃないですか。だからマーケティングとか経営にも20代の頃から興味を持ちはじめて、そっちのほうの研究を自己流でやってたんです。見えないものもデザインする。だから企画書になっていくんです。


ーーなるほど、大学時代からビジネスをされて経営されているわけですものね。

高橋さん:「見える化」なんですよね。見えないものを見えるようにするわけですから。デザインは見えるものにする。僕の場合は企画書という形にする。それが原点でしょうね。


ーー見えないものを見える化する、それを企画書として見える化する、ということなんですね。

高橋さん:そうそう。それをCTPTマーケティングを含む、ブロック形の企画書を作っていく流れの中で、売上増っていうのはどういう設計の仕方をすればいいのか考える。だから設計なんですよ、企画書は。思いつきを書くのが世の中の企画書だけど、私のところは設計図なんです。そして地図とも同じものなんです。


ーー先日、企画塾の発表会で超世界的企業の不良在庫を売り切ったエピソードを伺いましたが、ご自分の中で「これで自分の方向性が決まったな」というような出来事はありましたか?



6.金融危機でもV字回復


高橋さん:基本的には、整合性の高い企画書を作成し、実践に移して成功を再現する・・・という流れを作っていったたことが、方向性を決めました。
それと、ある大手電機メーカーでいろんな問題事業部のV字回復などを手伝わされたのは、いい体験でしたね。


ーーそこはプロフィールを拝見していても書いていないんですが、これはどういうお話だったんですか?

高橋さん:僕、その電機メーカーにはもう何十年と教育研修で入っているんですよ。で、教育で入るんだけど頼まれたりして現場に行ったりもするんです。例えば照明器具をどうやって売るかとかね。みんな、照明器具ってチカチカすると電球しか替えないんですよ。


ーーえ? でも、電球がチカチカしたら電球を替えますよね?

高橋さん:そう。でも、照明器具っていうとランプシェードとか天井からのコードとかもあるでしょ? ダイニングテーブルの上にある。シェードごと替えるって発想ってほとんどないんですよ。照明がチカチカしたときって。


ーーそうですが、シェードって関係あるんですか?

高橋さん:10年も経てばもう古くなってるわけですから、いろんなものが劣化しますよね。それをまるごと替えるっていう発想はなかなかない。でも、まるごと替えると電機メーカーとしてはすごくいいわけですよね。それに、古いものってやっぱり照明のレベルが低いじゃないですか。もう10年も経ってるわけだから最新ではないし。だから、お客さんのためにもまるごと替えたほうがいいわけ。


ーー確かに10年も経てば経年劣化はしますね。

高橋さん:それで、築後10年以上くらいの家を総当りしようと。これを山形市だけでやった。1998年かな。でも、その前の年がたいへんな年だった。97年に山一證券と北海道拓殖銀行と三洋証券が潰れたんです。おまけに、橋本内閣もつぶれた。


ーーはい、大きなニュースになりましたね。

高橋さん:小渕内閣にかわり、銀行は潰れないって言ってたんだけど、98年の9月に長銀と日債銀が潰れた。こっちはたまたまその9月に本格的にやる予定にしてたんです。銀行がつぶれる・・・って時代に照明器具なんか売れるわけねえだろって話になっちゃった。やめるかって話にもなったんだけど、でもやったんです。


ーーおお、やったんですね。

高橋さん:どういうことをやったかというと、家電店にちょっとでも付き合いのある人、築後10年の家に住んでいる人、これは団地なんか見たら分かるじゃない。宅地造成して、1990年くらいに建てた家って山形でもどこでも結構あるわけですよ。そこだけに集中した。それでお客さんのところにきれいなものを持って行って、シェードをひっくり返す。テーブルの上に新聞紙を敷いておいてね、そういう段取りも全部決めておくわけ。


ーーなるほど、プレゼンテーションですね。

高橋さん:そうそう。そうするとね、汚い照明器具がものすごいプレゼンテーションしてくれるわけ。夏には窓の隙間からでも外から虫が入ってくるでしょ。ダイニングで焼肉なんかやってると煙でランプシェードの上に油が付いて、そこに虫がペタッとくっついちゃったりする。それを天井からぜんぶ外して下ろすと、見た瞬間に奥様は「うわっ!」てなる。もう金融恐慌なんてどっか行っちゃうわけ。それで「買います!」って(笑)


ーー確かに! そうですね、どっか行っちゃいますね(笑)

高橋さん:たった一日の訪問販売で、家電店20ヵ店ぐらいで、1111台売った!


ーーええ!? 1日で1111台も!?

高橋さん:そして、1週間で計1700台売ったんです。だからそういう金融恐慌さながらのときにもモノが売れるってことだよね。本当に驚嘆しましたよ。


ーーもう日本全国が暗い雰囲気になっていたところですよね、それでも売ったし、売れたと。

高橋さん:単月でいちばん売上が落ちた月ですよ、日本中の。でもそのときに売りまくった。新聞にも出てましたよ。電波新聞っていう業界紙にね。


ーーいやあ、痛快ですね!

高橋さん:そこから僕はもう2年間ぐらいね、電気事業部かな、僕が東京で毎月待ち構えて、各県の営業所長だったり若手だったりを集めて、企画書の添削をして、それで何ヶ月かして実践してまた戻ってくるわけ。それをずっとやってて大変でしたよ。その翌年、確か3千何百台売ったな、山形市だけで。まあ、たくさん飲ませてもらいましたけどね(笑)


ーー市内ほとんどって言ってもいいくらいですね。

高橋さん:家電店では、お客さんが来るのを待ってるだけだと、1年間で3台か4台くらいしか売ってないわけ。きちんと売り込んでないし、照明器具って住宅を建てるときに一緒にくっついちゃうもんだから。そこの概念をひっくり返してセールスをしたんです。すると、金融危機もへったくれもないと。




7.企画の視点は身につけられる


ーー視点次第ですね。でも、その視点を持てる人と持てない人っていますよね? 後から身につけられるんですか?

高橋さん:それは後からでも身につきますよ。だって、うちで毎年刊行している増販増客実例集の中身を作っているのは会計事務所さんですから。最初は僕の事例からですけど、僕が全部作るわけにもいかないから、みんなにCTPTマーケティングを教えて、やってもらっていろんな事例が増えています。いまSNSだ何だって言いますけど、それは単なるツールにしか過ぎないんです。ツールのひとつとしての使い方は教えるけど、SNSですべてが何とかなるなんて有り得ない。だからCTPTで、企画書で設計する。


ーーそれは強く同感です。ツールを活用するそもそもの設計図のほうが重要ですものね。そのための視点が、CTPTマーケティングを実践していくことで身についてくるということなんですね。

高橋さん:実践をするから反省があるし、反省があるからリニューアルもするし、PDCAが回るんです。大概のマーケッターは頭だけでやっとるから、言葉だなんだとかドラッカーがなんだとか、いつまでたっても実践ができない。だから講演の依頼が来たら5万円でも走って行ったりね。あとは本を書いたら売れるんじゃないかって思って、本を書いてる時間ってかかるじゃないですか。でも元々ネタが無いから余計にこねくり回して、ろくなもんじゃないのがいっぱいある。


ーーそう考えると、本当に再現性のあるものをこちらもちゃんと見極めないといけないですね。

高橋さん:仮説検証をちゃんとやっているのはほぼいないからね。見てたら分かるじゃない。マーケティングの話をしていたらいつの間にかスピリチュアルの話になっちゃったりね。全然違うテーマに変えちゃうのもいるじゃない。バーっと売れててもそういう方向に行っちゃう人っているんです。


ーーなるほど。

高橋さん:結局、そういう人がやると何が起こるかというと、ちょっと大きいお金をもらってしくじるんですよ。しくじると間違いなく「あれダメだ」って話が出るし、陰でバッシング受けてるから他へ移るしかないとかね。人の成功したネタを追体験してできるみたいなコンサルがめちゃめちゃ多いんですよ。


ーー確かにそれでは何にもならないですね。

高橋さん:うちは、こうやったらいけるよっていう仕組みを作って、それで企画書を書いて実践して、変化の状況を把握してるからね。だからね、こうしてずっと続けてられる。


ーーご自身でも常にブラッシュアップもされていますよね。毎回事例で確認するわけですから。

高橋さん:いまいちばん新しい事例集が14冊目だからね。1冊に30〜35事例くらい入れてるから、それだけでも500事例はいきますよね。


ーーそれも「成功事例」で500ですものね。

高橋さん:そう。ただ「うまくいきました!」って報告を受けた細かいレベルまで入れれば5000は優に超えてます。だからねえ、何ていうのかな、いくらコンサルタントがなんだかんだやってても、どこまでできてるのかなあとは思いますけどね。これ(CTPTマーケティング)はまだ10年くらい陳腐化しないなとは思っているし、時期がくれば海外でも発表したいなと思ってます。


ーーそうですよね、CTPTのコンセプトは海外でも変わらないですものね。

高橋さん:そうするとね、日本人は逆輸入に弱いから、一生食えるよね(笑)


ーー確かに(笑)! それは楽しみですね。

高橋さん:でも5時とか6時になると酒ばっかり飲んでるからな。朝4時に起きてるとはいえね、時間が足りないかも(笑)


ーーそうですね、泡タイム大事ですね(笑)




8.同世代へ思うこと


ーー同世代に向けてのご質問なんですが、一般的な同世代の方々について思うところはありますか?

高橋さん:特にサラリーマンで退職した人で、実は看板でやってたというのを実感しちゃうとその瞬間にエネルギーをなくしちゃう人が多いよね。そんなことじゃなくて、そこでこれまで培ってきたものをもっと活かしていけばいいのにと思うんだけど、そのエネルギーがなくなっちゃうんだろうね。プライドみたいなものが邪魔するんだろうなあ。


ーーそうですね。

高橋さん:だから60歳になる前の、50歳くらいで転身するとかね、そうすると70歳までも80歳までできる時代だし。日本だって昭和20年代ぐらいまで平均年齢は50歳ぐらいでしたからね。戦後もあるけれども、肺病でだめになるっていうのが多かったじゃないですか。でもペニシリン-ストレプトマイシンの開発で日本の平均寿命が70歳ぐらいまで延びるんですよ。それから細かい医学や保険制度が充実して、いまでは、男は平均寿命が80歳、女性が87歳近くになりました。


ーーはい、そうですね。

高橋さん:だから70歳くらいになると完全にリタイヤになっちゃうわけ。もったいないね。で、男性は平均が80歳なんだけど、それまでの9年間は不健康期間なんです。みんなどっか身体が悪くなる。僕なんてどこも悪くないですからね、現時点で。40代50代の人よりも身体のデータはいいんですよ。それはやっぱりベースなんです。身体が元気でないとアグレッシブにならない。新しいことにもチャレンジできないんだよね。


ーー60歳70歳を迎える前に、身体をしっかり作るなり自分の次のキャリアのことを考えて動き出したほうがいいということですね。

高橋さん:そうそう。僕の場合のベースは人生企画っていうのがあるわけです。人生企画は、あなたの協会の日野さん(理事)もそのおかげで今日があるって言ってくれてるけどね。



9.26歳で人生企画、65歳を修了日に


ーー人生企画! それは面白そうなキーワードですね!

高橋さん:いつ死ぬかっていうところから僕はスタートしてるんです。65歳で死ぬ予定だったんですよ。


ーー65歳でですか!? それはいつ頃考えられたんですか?

高橋さん:26歳ぐらい。


ーーええっ! そのときにもう「俺は65歳で死ぬんだな」と考えて逆算を?

高橋さん:そうそう。家族だったり親族だったりを見てね。祖父は67歳で亡くなって、60歳以降は寝たきりでしたからね。祖父のきょうだいも69歳だったり71歳だったり、だいたい5,6年は寝たきりで亡くなるから、俺もそれくらいかなあと。じゃあ65歳にしとこうって。


ーーそうなんですね。

高橋さん:それを決めるわけです。これが修了予定日で。


ーーしゅうりょうって、「修了」なんですね! 修めて終わるって(笑)


(ここで高橋さん、ご著書「人生は企画だ!」を開いて説明してくださいます。図解で示された人生計画表を指しながらお話は続きます)

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高橋さん:そうそう。それでそこから見てみたら残りの時間がどれくらいあるかって分かるでしょ。いままでの時間のところと、修了予定日の先は黒く塗りつぶしちゃうから。80歳までだったら、ここから先は真っ黒に塗っちゃう。ね。それで僕はこういうスキームでもって65歳で死ぬというつもりだった。


ーーこちらのこの公式はなんですか?

高橋さん:これは人生のライフサイクルの公式です。まず、いい環境に身を置かなきゃならない。そして資源は3つあって、人脈、技能、資産で、このどれを活用してやってくかがポイントなわけ。さらにいちばん大事なのが3つの健康というのがあって、身体の健康と頭脳の健康と心の健康は絶対必要と。それから行動は2つ、ひとつは将来の行動。チャンスが来た時に対応するためにいまから何年後に何を、とシミュレーションしとかないといけない。シミュレーションしとかないとチャンスを逃しちゃうから。ふたつ目の行動は、いまやらなければならないことをいまやるこれは、足も含めた行動。そうしているとチャンスが来る。そしてどんなオペレーションをするかと。


ーーこれはすごいですね!

高橋さん:これが僕のサクセスの公式っていうの。概念的なね。26歳のときに作った。


ーーこれも26歳で作ったんですか!? いまじゃなくて!?

高橋さん:そうそう。それで環境のライフサイクルがいろいろあるなとか、加えていってね。あとは組み立てていって。このあとの打ち合わせに来る社労士さんがいるんだけど、その人はうちで勉強して日本でいちばん稼いだ社労士になっちゃった。一人で1億円くらい稼いじゃって、その人とこれの今後を打ち合わせるんです。人生企画アドバイザーっていうのを作ってね。


ーーこれをプラチナエイジの方が読めばいんですね!

高橋さん:そうですね、プラチナエイジになりたかったらですね。



10.積極的不遇期を設定する


ーーそれにしてもこれを26歳から始めているというところはやっぱりすごいと思います。

高橋さん:そうですね。まず26歳から最初の10年、まあ26歳からなので9年ですが、そのステップを決めたんです。大企業最優先の時代だったから、こういう事業をやってる以上は35歳までに何がしかができるということを世の中にプレゼンテーションしなくちゃいけないから、本を書こうと思った。それで、ただの青二才が何ができるわけでもないから、9年間は自分の不遇期にしたんです。


ーー不遇期ですか?

高橋さん:成功者はみんな不遇期があるんですよ。松下幸之助だって苦労してるし、稲盛さんも40歳ぐらいまで大変だし、安藤百福さんはチキンラーメンで何とか芽が出たのは、50歳近くになってから。だから、積極的な不遇期として蓄積期というものを作ったわけだ、いちばん最初の9年間をね。何の能力もないんだから、その間は蓄積を最大目標にしようと。それで蓄積があるぞというのを出力するということで本にまとめることにした。


ーーなるほど、9年間の蓄積のまとめとしての本ですね。

高橋さん:いまでは誰でも書けるけれども当時は原稿用紙に書かなきゃならないからね、大変だった。当時は自分に大して能力ないのを分かってたから、お金が入ってきたら3分の1は本屋に行って本を買った。セミナーもなければ何もない時代ですから。講演の講師も大学の先生しかやらないし、大学の先生は何言ってるかというと、アメリカではどうとかヨーロッパではどうとかで、「あんたはどうなの?」ってこっちは思って(笑) 具体的な話はゼロ。


ーーそうですね、実際の話を聞きたいですよね。

高橋さん:それでとにかく本屋に行って、段ボール箱で本を買う。だから3分の1は本代。次の3分の1は呑み代。最後の3分の1は生活費やら車やら住宅やら。まあ可処分所得はそれなりにあったからね(笑)


ーー3分の1は飲んでたと(笑)

高橋さん:でも3分の1を本代に使うのってすごかったと思うよ。


ーーそうですよね、300万円稼いで100万円を本に使うってことですものね。

高橋さん:でも独立したころにはそれどころかもっといってたからね。だから割と年収1億オーバーになったのは早いですよ。いまコンサルタントで年収1000万円いかないコンサルタントなんてゴロゴロいるからね。


ーーなるほど、そうして積極的な不遇期を過ごされて、いよいよ本としてアウトプットするんですね。

高橋さん:書くのは2年ぐらいはかかりましたけどね。最後の半年は特に集中して。それで書いた後に仕事を減らして予定を空けといたら全然入らなくて。売れない(笑)


ーーいやいや、価値が伝わるのにはやっぱり少し時間がかかりますよね。

高橋さん:で、このヤロウって思って2冊目を書いたら2冊目がちょっと出た。当時1万何千部くらい。次出したら3万部ぐらい出て、それで25万部とか30万部近くいっちゃったりした。するとあちこちから出版依頼が来て、KKベストセラーズからも来た。絶対にKKベストセラーでは、ボクの本は売れないと思ったから断ったけど、出したら3000円の本が10万部超えしちゃってびっくり。


ーーすごい予想外ですね!

高橋さん:じつはね「ベストさん、申し訳ないけおたくじゃビジネス書は絶対ヒットしないよ、最初に印税もらわないとやらない」って言ったんですよ・・・平気でそんなこと言っちゃった。断ろうと思ってね。


ーーーとても考えられないですね(笑)

高橋さん:そしたら向こうがすぐにポンと振り込んできちゃって。「やんなきゃいけないじゃんこれ」ってなって(笑) 400万円ぐらいかな、1万何千部くらいを前払いしてきたんです。こっちは原稿も何もないのに(笑)
 でも10万部売れちゃったからね。印税だけで3千万円になっちゃった。そういう面白いことがたくさんありましたよ。




11.新たな人生企画、次はロボット


ーーそういえば65歳で自分は死ぬって決めてましたよね。でもその日が来てしまって、どんなお気持ちだったんですか?

高橋さん:生きてるって(笑)「人生最大の企画倒れ!」と笑ってます。


ーー生きてるって(笑) じゃあここで新たに人生企画をつくられたんですか?

高橋さん:95歳までのを作ったんだけど、どうも95歳までピンピンしてそうだぞと思って。


ーーそうですね、絶対そうだと思います(笑)

高橋さん:それで、これは95歳オーバーの企画にしなきゃいかんぞと。日野原超えするんじゃないかと思ってね(笑)


ーーでも、こんどの人生企画は26歳のときの自分とは全然違うわけじゃないですか。最初に作ったときとは違うなあと思ったことなどはありましたか?

高橋さん:人生企画を作ってなかったらどこで何してたか分かんないだろうなっていうのはありましたね。何ていうか、どっかで酔いつぶれてひっくり返ってるかもしれないし、40歳ぐらいで胃に穴開けて死んでたかもしれないしね。そういうのも結構いましたし。作ってなかったらまあ無理だな。


ーーそうなんですね。

高橋さん:今年2017年が、僕が人生企画を立てて45年なんです。そして来年がMP講座をやり始めてからちょうど30周年なんです。ずっと同じことやってるわけですよね。僕は、コンサルタントはかくあるべきだと思いますけどね。仕組みが変わらない。仕組みが変わらないで成功する人がいっぱい出てくるわけ。本当にペテンみたいなものがいっぱいいるからね。


ーーおっしゃるとおりだと思います。それにしても、どこまで掘り下げてもどこまでも引き出しが出て来るから、お話が終わらないですね(笑)

高橋さん:まあ、仕組みになってるからでしょうね。


ーーでは、名残惜しいんですが、最後にギュッと凝縮して、これから力を入れていきたいということをお伺いできますか?

高橋さん:基本的にはこういうことをベースにして人を育ててはいくんですが、自分でやろうと思っているのはロボットですね。ロボット会社を作って準備してます。


ーー言える範囲で結構ですので、少し詳しくお聞かせいただけますか?

高橋さん:基本的にはうちは会計事務所を組織してるから結果的に会計事務所に入るんだけど、会計がらみの伝票処理をするロボットですね。伝票の入力するのって面倒くさいじゃないですか。いまでも画像処理でデータを入れられますけど、普通の紙はなくならないから。それを掴んでスキャナーに入れるとかね、それを真夜中にやってくれるとか。


ーーなるほど、確かにロボットが介入できる部分ですね!

高橋さん:そうすると人件費の削減にもなるし、まあ自動化ですね。


ーーロボットというとソフトバンクの孫さんが声高に言っていますが、もちろん高橋さんもずっと前から考えていたということですね。

高橋さん:だからね、料理もそのうちロボットがやるようになりますよ。冷蔵庫の中の食材を品質管理したりしてね。だから移民を入れるよりロボットで対応できるんです。


ーーでは、本当にこれで最後ですが、これからプラチナエイジになりたい方々に伝えたいメッセージなどあればいただけますか?

高橋さん:酒の呑み方はちゃんと言わないといけないなあ。休肝日なんて中途半端につくるなと(笑) 氷を入れない、身体を冷やさない、ね。


ーーそうですね、体調管理がまず大事ですものね。だいぶ予定時間を過ぎてしまいましたが、本日はたくさんお話をいただきありがとうございました!




編集後記

原宿の賑わいからは少し離れ、閑静な住宅街にあるオフィスにお伺いしたのは、初夏を感じさせるよく晴れた午後。白を基調とした明るく静かなオフィスでインタビューは行われました。

お読みいただければ感じていただけると思いますが、高橋さんはどこまでも広く、どこまでも大きく、どこまでも厳しく、どこまでも優しい。裏がなく、嘘がなく、柔軟でもあり、頑固でもあり、自然と相手を笑顔にさせる。

日本経済に与えた決して少なくない影響は本当に素晴らしいことだし、すごいことだけれど、一緒にいると本当に何でも教えてくれる、教わることができる人生の大先輩だと感じました。

しかし、今回はお話に上がることはありませんでしたが、高橋さんも相当な山あり谷ありの人生を歩んでおられます。20代では身体を壊し、無事復帰するとこんどはバブルで5億円が吹っ飛び会社は縮小、その後も成功だけではなく、多くの厳しい状況を経験し、乗り越えられてきたのです。

地味な現場も壮絶な経験もすべて自ら味わっているからこそ、語る言葉に説得力も重みもあり、ビジネスに本当に活きる血の通ったコンサルティングができるのでしょう。

自らの帆を大きく拡げて風を受け、雲の動きや星の動きを緻密に読み解きながら、ビジネスの大海原を悠々と進んでいく、そんなイメージを高橋さんに浮かべつつ、オフィスを後にしました。

鋭い感性と豊かな経験で、経営者たちを未来へ導くプラチナエイジスト・高橋憲行さん。
プラチナエイジ振興協会では、高橋憲行さんのますますのご活躍を応援してまいります。

(インタビュー・撮影/2017.5.27 安 憲二郎)


12.高橋憲行さんの著作からおすすめの書籍


人生の企画、事業の企画・高橋憲行著

事業家、起業家の人生は、家族の人生、自分の人生と、ほぼ同じ。インタビュー中に出てきた、人生計画表やライフサイクルの公式、サクセスの公式ほか、人生と事業のを包括的に考えるためののアドバイスが満載の一冊。
お買い求めは企画塾出版部まで、<こちら>のフォームよりお問い合わせください。