1年間を通じて集まった日本全国のプラチナエイジストの夢の中から、特に多くの方の勇気や希望となる夢を表彰・発表し、ひとりでも多くの方に歳を重ねること、夢を持つことの素晴らしさを伝える【プラチナエイジ夢フェスティバル】。第8回を迎えた今回も、プラチナエイジならではの素晴らしい夢が集まりました。特に受賞された皆さまは、お一人お一人本当に素敵に輝いていて、いま目の前のことに情熱を持ち、未来に向けて力強く明るい希望をお持ちで、まさにプラチナエイジとしての在り方を体現しておられました。プラチナエイジ振興協会は、これからも輝いて生きるプラチナエイジの皆さまを応援してまいります。

<プラチナ大賞>
【洋傘職人は100歳まで現役で、その後は120歳で長寿世界一でギネスブックに載る】
三河屋洋傘専門店3代目店主
北澤良洋さん(89歳)

日本で消費される傘の数はおよそ1億2000万本から1億3000万本と言われています。その半数以上はビニール傘で、まさに日々「消費」されている中で、長野県でただひとり、手作りで洋傘を作り続ける職人がいます。善光寺の前で明治10年から続く老舗、三河屋洋傘専門店の3代目店主である北澤良洋さんがその人。多くの人がコンビニエンスストアやデパートで手軽に買っていく傘を、70年にもわたってひと針ひと針手作りで作り続けてきました。
「傘はしっかり作れば3代にわたって使える道具。お客さんの幸せを願って、自分の全てを込めて作るんです。100歳までは現役で、その後は120歳まで生きて長寿世界一の記録を作りますよ」
そう言って笑う北澤さんは、今日もまた新しい傘に願いを込めて、ひと針ひと針、糸を通していくのです。

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<プラチナ賞>
【何歳からでも体は変えられる!母娘で伝えるメッセージ】
中田杏子さん(81歳)

若い頃からアクティブで、体を動かすことやチャレンジが大好きだった中田杏子さん。60代半ばまでは東京都内に3店舗の飲食店を経営していましたが、それを辞めてからは徐々に体が衰えていき、70代になると背中も曲がり、杖を2本使わなければ歩けないほどに。しかし、80歳で転機が訪れます。リカバリートレーナーである娘さんと一緒にトレーニングを開始すると、わずか4ヶ月で杖無しで歩けるようになり、雑誌からの取材申し込みを受けるほどになりました。
いまもウォーキングとトレーニングを続けながら、ますます元気に若々しく活動されています。

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<プラチナ賞>
【日本の古民家を精巧な模型作品にして後世に残していきたい】
哀愁のふるさと館 館長
逸見雄一さん(70歳)

名勝・天然記念物に登録されている景勝地長瀞からほど近く、国道40号沿いに、「哀愁のふるさと館」はあります。一見すると平屋の民家のようにも見えるこの展示館は、日本でも類を見ない、超精巧な古民家模型を数多く展示する古民家展示館なのです。その館長である逸見雄一さんは、50年間にもわたって一心不乱に古民家の模型を作り続けてきました。華美な装飾や派手な宣伝には一切興味がないような、ある意味「道」を追求する求道者のような佇まいを見せる逸見雄一さん。今日も後世に残すべく、超精巧な古民家模型の制作に取り組んでいます。

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<プラチナ賞>
【デジタル技術で生活に楽と豊かさを与え、少子高齢化や貧困問題の解決の糸口にしたい】
デジタル化推進アカデミー 学長
岩田敏彰さん(63歳)

旧ソビエト連邦の宇宙飛行士ガガーリンが人類で初めて宇宙に到達した時代。岩田さんは連日テレビで放送される宇宙の話題に釘付けになっていました。「宇宙に関わる仕事がしたい」という夢を胸に抱いた岩田さんは、国の研究機関である旧電子技術総合研究所(現在の産総研)に入り、見事、宇宙開発に関する仕事に就きました。しかし、待ち受けていた未来は想像とは違っていて、大きな挫折も経験することになります。しかしながら、子供の頃に抱いた宇宙への夢は、形を変え、いまもなお岩田さんの心の中に生き続けています。

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